東京媽祖廟代表 連昭惠さんインタビュー

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東京媽祖廟連昭惠代表
東京媽祖廟連昭惠代表

大切なことは心と心の交流、台湾人の温かさを伝えたい

Q媽祖様との出会いは

A小さい頃から観音様を信じていました。私は台湾の大学を卒業後、交流協会の奨学金で1991年に来日し、一橋大学大学院に留学しました。ところが卒業の1年前に父が突然亡くなり、心の支えが急に無くなってしまいました。1994年に大学院を卒業し台湾に戻って大和証券グループ会社のNIF社に就職し、2001年にちょうど仕事のため、来日するかどうかを悩んでいました。その年の媽祖様の誕生日に突然、媽祖様が私に話しかける声が聞こえるようになったんです。「日本に行ってください」とはっきり指示してくださいました。日本に来てから、どんな問題に直面しても、すぐ媽祖様にお願いすることになりました。その時点から、媽祖様にお願いしたことはすべて叶えていただいております。従って、媽祖様に恩返しをするため、東京媽祖廟の建設には一生懸命頑張ってきました。

Q東京媽祖廟との関わりは。

A詹徳薫董事長とは2008年にお会いしました。媽祖廟の話は3~4年前から。詹董事長のもとに華僑様から媽祖廟建立の願いが様々届くようになったということです。問題は誰がお金を出してビルを買って廟を建てるか、また、廟に関する知識やネットワークがないと実現は難しいという点でした。こうしたなかで、資金的な目途が立ったということで詹董事長から昨年の春に「媽祖廟を建てましょう」というお話がありました。ちょうどこの頃、日本媽祖会の入江修正理事長(※)ともお会いする機会がございました。

Q廟の建立までの経緯は。

A去年の4月に不動産屋さんに土地とビルの打診をしました。条件は台湾人が多く住んでいる新宿か大久保エリア。20件ほど物件があり、1つ1つ媽祖様に確認してご指示をいただき、詹董事長とも相談しながら現在の場所に決めました。来てみると両脇が空き地という好条件の場所でした。現地の状況から新たにビルを建てるのではなく、修繕工事、改築をすることにして、お寺を造ることができる台湾の建築業者を探しました。

Q工期は。

A実は媽祖様より来年の旧暦9月9日に安座式をやりましょうというご指示がございました。つまり、今年の10月13日です。逆算して1年少々しか時間がないなか、様々な問題もありましたが直面しては解決しながら今日に辿り着きました。

Q代表としての役割は。

A私がこの立場になったのは、皆様に貢献したいという気持ち、お寺や神様の知識、会社経営の経験などがあると思います。実際、東京媽祖廟の管理システムを作り、またウエブサイトを構築したり、信徒様の拡大や行事をどうしていくか考えていますが、一番大事なのは、心の交流です。ビジネスではありません。東京媽祖廟は営利目的で造られたものではありません。皆様の心をどうしたら温めることができるかが肝心なことですし、心の拠り所になって欲しいと思います。

Q収益事業は。

A寄附という形ではなく、台湾では普通に行われている光明燈へのお供え(1年1万円)をお願いしています。

Q今後の活動は。

A華僑の才能ある方々に先生になってもらいながら老若男女、例えば、健康のための正座など各種勉強会や授業などを行ったり、家庭や仕事の悩みなどの相談を受けたり、様々な交流が深まれば嬉しいですね。ここは宗教のための信仰の場のみということではありません。現在、協力いただける方たちと運営委員会を作って定期的に話し合いを持っています。

Q最後に。

A3.11の地震時の義援金に見られるように、台湾人の心の中に隠れている優しさ、温かさを皆さんに伝えたいと思います。

※一般社団法人日本媽祖朝天宮代表理事入江修正氏

■プロフィール

連昭惠、台湾台北市生まれ。1990年、台湾輔仁大学を卒業、1991年に日本一橋大学大学院商学研究科に留学。1994年に卒業、そして帰国後、大和証券グループ会社のNIF社台湾支店に勤務。2001年、仕事のため再度来日。2003年2月に、ウィツ株式会社設立。2013年、東京媽祖廟代表に就任。