さようなら、日本 —— 大震災克服を確信

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さようなら、日本 —— 大震災克服を確信

台北駐日經濟文化代表處代表 馮寄台

 
 50数年前、外交官の父と一緒に東京に来た当時の私は、映画『Always 三丁目の夕日』の「鈴木オート」の息子、一平のような小学生だった。学校給食や白黒テレビ、建設中の東京タワーなど、いずれも私の少年時代の思い出と見事に重なる。その私が半世紀後に再び日本に戻ってくるとは夢にも思わなかった。
 
 4年前、台湾の馬英九総統は、私に駐日代表就任を要請した。しかし、私は外交官として日本との実務に携わったことはなく、長い間日本を離れており、固辞した。それでも、馬総統の熱意と要望は揺るがず、私は戦々兢々の気持ちで日本に着任したが、あっという間に3年半が経ち、まもなく台湾に帰ることになった。日本駐在を振り返ってみると逆に、私の30数年にわたる外交官の生涯で、最もすばらしい経験となった。
 
 中国語に「世の中に終わりのない宴はない」ということわざがある。まもなく、私は名残り惜しい気持ちで日本を離れるが、心より「ありがとう日本」、そして「お元気でさようなら!」と言いたい。
 
 在任中には、日本人の国民性を日常生活においても実感した。着任してまもなくの頃、ゴルフのプレー中に池に落ちてしまったボールを拾った日本人の友人が自分の物ではないとわかると、そのボールを池に戻した。私は世界各地でゴルフをしてきたが、こんな光景を見たのは初めてで、日本人の正直さに驚いた。
 
 亡父は長く日本で勤務したが、まさか息子が自分の後を継いで、日本で働くことになるとは思わなかっただろう。この一年あまりの間、私の娘も東京で日本語を一生懸命に学んでおり、我が馮家には三代にわたり日本と縁ができたようだ。
 
 昨年の東日本大震災は、私にとっても最大の衝撃だった。自然の猛威により、生活基盤が失われた中での日本人の思いやりと公徳心に深く感動した。両親を亡くした子どもたち、長年連れ添った相手を失ったご老人たち、離ればなれになった家族の悲しみを思うと、私は何度も涙があふれてきた。そんな時に「なでしこJAPAN」がワールドカップで優勝した。台湾人の私でさえも、テレビに映し出された勝利のシーンに、思わず胸が熱くなった。台湾の人々が、大震災発生直後から義援金集めなど被災者支援に乗り出したことに、私は台湾人として誇らしく思った。
 
 先月、赤坂御苑で開かれた「春の園遊会」に招かれ、天皇、皇后両陛下から「台湾ありがとう」とお言葉をかけていただいたことは、私の外交官人生における最高の栄誉だった。日本人は強くたくましい民族である。この大震災を必ずや乗り越えるものと固く信じている。
 
 台湾と日本はもともと特別な関係にあり、馬総統が両岸(台湾―中国大陸)の和解を推進してきた結果、台日の関係はさらに多くの進展を見た。台日投資協定や航空自由化協定の締結も実現し、今後ますます人的往来が緊密になるだろう。今年1月に再選を果たした馬総統のリーダーシップのもとで、今後も台日関係は引続き力強く前進していくものと確信している。
 

5月16日 読売新聞・朝刊