京都「創作中華 一之船入」のオーナーシェフ 魏禧之氏 インタビュー

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大阪春節祭にて(京都華僑総会ブースで牛肉麺大繁盛)
大阪春節祭にて(京都華僑総会ブースで牛肉麺大繁盛)

 「京都では通用しません」の言葉に奮起

築約80年の元お茶屋である町家のたたずまいを残した『創作中華 一之船入』。横浜中華街で生まれ育ったオーナーシェフ、魏禧之氏がふるまうのは、和洋を融合した創作中華だ。医食同源を基本に無農薬の京野菜をふんだんに使用した“中華料理”は京都の枠を超え、日本全国、台湾、香港、中国へと拡大しつつある。様々な“肩書”を持ち、社会的活動にも力を入れる魏禧之氏に話を聞いた。

Q魏さんの生い立ちは。

A僕は横浜中華街生まれです。実家がそこでお店を経営していました。祖父が中国福建省から台湾に、台湾から日本に来てお店を出したと。仙台出身の祖母(日本人)と結婚しました。それで父が生まれ、父も日本人の奥さんを選んだという感じで、僕は華僑3世ということになります。学校は、横浜中華学院に入学しました。家族経営でしたから帰宅してから家の手伝いをしていましたね。大きくなってからはバスケットなどスポーツなどもやりましたが、やがて“グレ”(笑)まして学校は退学しました。

Q中華の道を志したのはいつか。

A実家が中華料理をやっていましたからその世界に入ろうかなと思って、ただ、どうせ入るなら頂上を目指そうと様々なところで修業をしつつ、時代は1980年代のバブルということで知り合いと土地や株式でずいぶん儲けさせてもらいましたが、91年にバブルが崩壊。まあ、プラスマイナスゼロという感じでしたが、これからどうしようかとなった時に、沖縄が大好きでしたので無一文状態ながら沖縄に行って、(スポンサーを見つけて)本格的な中華料理店を那覇市内に開店しました。沖縄には珍しい本格的な中華のお店でしたのでこれが大流行で。ところが詐欺に遭ってしまい、1億円の借金を背負ってしまったわけです。これが1995年頃の話ですね。

Q京都との縁はどういうきっかけで。

父がお金ならなんとかなるから横浜に戻って来いというので迷っていたときに、京都の着物の先生が「だったら京都でお店を出すからプロデュースしてくれない」というので京都に行って手伝ったところ、あっという間に1年がたち、そろそろ横浜に帰ろうかと思ったところで、元お茶屋の町家でいい物件があると。「ここでもう一回やってみるか」と考えたのが創作中華だったわけです。

Q創作中華とは。

A中華料理といっても同じじゃダメ。基本を勉強してきたもので、いろいろアレンジしてやってみようと。町家に中華はなかったんですね。ただ、京都の人は厳しくて、「あなたは中華街では通用するかもしれないけれども、京都では通用しません。日本料理、京料理を勉強しろ」と言われたわけです。分かってきたのは、関東は味が濃くて出汁が薄い。京都は味が薄いけれども出汁がきっちり出ているんですね。それと井戸水を使っていますね。そこで、初めて京都風のアレンジをしてやろうと思って。さらにアレンジを加えていくうちに次第に店の名前が知られるようになっていったわけです。

Q事業が拡大しているが。

A全国30店舗ぐらいをプロデュースしましたし、今もチェーン展開しています。また、投資案件が増えてきています。台湾、香港、中国の投資家がお店をやってくれと。台湾では今年11月、台北101の86階に500坪の僕のお店が出ます。そういう形で上海でもというふうに広がっています。

Q多くの顧問をしているが。

A料理の関係では、世界中餐名厨交流協会専家委員会副主席、社団法人日本中国料理協会京都支部幹事長、中華美食交流協会海外理事、台湾米其林厨師興會(台湾ミシュラン)海外理事、台北市牛肉麺大使、世界中国料理連合会国際評議員、一般社団法人全日本・食学会理事などがあります。華僑関係では、中華民国僑務委員会僑務顧問、中華民国留日京都華僑総会副会長となっています。

大阪「春節祭」前夜祭にて
大阪「春節祭」前夜祭にて

Q著名人の来店について。

Aここまでにするのに16年かかっています。お陰様で政財界や芸能人の方なども見えられます。ただ、サインもないし、写真も撮りません。お店のコンセプトは、かしこまってサービスするのではなく、町家ならではのアットホームなスタイルを大事にしようというものです。「お家でごはんをたべる形にしよう」と。ですからお客様は皆、同じように接客させていただいています。