池袋台湾協会で講演「時代精神を反映した台湾伝統音楽と文化発展」開催

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池袋台湾教会
開会挨拶

日本台湾語言文化協会が、11月3日、池袋台湾教会で国立台北芸術大学顔緑芬音楽科及び音楽学研究所教授を招いて「時代精神を反映した台湾伝統音楽と文化発展」と題する講演会を開催した。言語は台湾語だった。

顔緑芬教授は、ドイツベルリン自由大学博士卒業、研究領域は二十世紀音楽、民族音楽、台湾当代音楽発展史、台湾オペラ「歌仔戲」音楽など。共著に『台湾音楽百科辞書』『主編台湾当代作家』『音楽鑑賞』ほかがある。

顔緑芬教授

開始時間の午後2時30分頃には教会会場(約50席)はほぼ満席となった。冒頭、主催団体である日本台湾語言文化協会の張瑞銘会長が挨拶。引き続き、同会の創会会長、許極燉顧問が講演の趣旨などを約15分にわたって話した。

午後3時少し前から顔緑芬教授の話が静かに始まった。2台のプロジェクターから教会の内壁2カ所にパワーポイントの映像が映しだされ、文字に交じって時折、日本人がかつて聞いたことがあるような懐かしい流行歌が流れ、その度に参加者が一緒に口ずさんだりした。和やか、かつ真剣味ある講演会となった。

講演は大きく2部構成となっており、1部は1930年~1960年代の民謡や流行歌などの紹介が中心、2部は戒厳令以降の流行歌の動向が中心だった。1部48P、2部41Pに及ぶ資料をもとに顔緑芬教授はときに身振り手振りで熱弁を振るった。

講演の狙いは、台湾の日本統治時代から現在に至る歴史・時代を反映した様々な歌を考察するというものだ。

日本統治時代(1895年~1945年)、南京国民政府時代(1945年~1949年)、台湾国民政府時代(1949年~1996年)、民主化後(1996年~現在)といった時代に加えて、1947年2月28日の民衆蜂起事件(戒厳令~1987年まで)、1979年の美麗島事件(台湾高雄市で行われた雑誌『美麗島』主催のデモが警官と衝突し、主催者らが投獄された)、1996年の台湾初の総統民選実現(李登輝氏が総統に)、2000年、政権交代(民進党の陳水扁氏が総統に)と、節目となった出来事からどのような流行歌が生まれたかが丁寧に解説された。

例えば、日本統治時代では、台湾語民謡「六月芙莉」の紹介時に会場で合唱が起こった。また、鄧雨賢(1906年~44年)は、台湾出身で東京の歌謡学校で音楽を勉強し、帰台して台湾コロンビアの専属作曲家になった人物。「望春風」が紹介されるとまた合唱が起きた。さらに、台湾コロンビアから流行歌第1号としてレコードが発売され、上海映画の台湾での主題歌として大ヒットした「桃花泣血記」なども参加者はよく知っているようだった。

講演は午後5時30分に終了。そこで顔緑芬教授に2つの質問をしてみた。1つは、「今日、参加者にいちばん伝えたかったこと」そして「終えた後の感想」。

「1部は、流行歌について知ってもらうこと、2部は戒厳令の時代には歌が禁止されてなかなかいい歌が出なかったこと、それが解除後にどんどん出てきたこと、そういったことを伝えたかった。講演を終えた後ですが皆さん、大変、熱心で感心しました。皆、よく歌を知っていますし、休憩時間は、皆さん集ってずっと話をされていましたね」(顔緑芬教授)

謝謝分享!再曾!