新春インタビュー 池栄青果株式会社代表取締役藤田克己社長

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藤田克己社長
藤田克己社長

 1947年創業の池栄青果(株)は、次々と新分野(スーパー、専門店・こだわりや、ギフト、CVS・コンビニエンスストア、台湾物産館)を開拓し、業容の拡大を図ってきた。グループ展開の経緯と「台湾物産館」の新年の抱負を藤田社長に聞いた。

創業は1947年の「つま栄」

 池栄青果(株)の前身は、池袋で創業した有限会社「つま栄」だった。青果の小売・卸業務により地域の料亭やホテル、レストランに納品を開始した。「『つまや』は八百屋と違い、東京に当時6軒しかなかったんです。刺身のつま物やすし屋のつま(ガリ)など様々な“つまもの”を扱うとともに水菓子と呼ばれる輸入高級果物(メロン、バナナ、パイナップル)や食材(セロリ、レモン)、国内の高級果物などを卸していました。1949年には武蔵野マーケット(現・池袋西武百貨店)に出店し(テナント)、その後、西武グループ各社に出店するようになりました」

 1959年に「つま栄」から「池栄青果株式会社」に改組。西武グループのみならず、大手流通各社、専門店、量販店、スーパー、駅ビルなどにも店舗展開していく。藤田社長は子どもの頃から夏休み、冬休みは家を手伝い、後継者としての知識を身につけた。大学を卒業すると自然に“家業”に従事。「24歳の時(1971年)に神奈川センターができてそちらに行きました。当時西友ストアさんに10店舗ほど当社の店があり(最盛期30店舗)、店舗向け出荷業務関係(集荷・加工・梱包・配送など)を統括する形。社員を含めて全体で400人ほどの規模でした」1987年に東京に戻るまで、埼玉の店舗(25店舗)なども管轄し、終日飛び回る生活だったという。

 この間、藤田社長は新分野への進出を積極的に仕掛けていく。「先代(父)は青果やデパートの販売には長けていましたが、スーパーやコンビニといった新しい業態は分からないということがあり、私が青果をやりつつスーパーに進出し(神奈川と兼務)、多いときは10店舗にはなりました」スーパーへの進出は1976年の三田店が最初だが、それ以前、西友ストア、東武ストア、後楽園ストア、キンカ堂に店舗展開(青果店)をしていた関係で、そのノウハウを学習した結果の決断だった。その後、無添加、有機農法専門店「こだわりや」、ギフト、CVS分野へと業容を拡大していくわけだが、その事業の萌芽は1980年代に培ったものである。「『こだわりや』はスーパーを始めた1976年から約10年間テストランをして店舗展開に踏み切ったもの、コンビニは30年ぐらい前に西友ストアさんがファミリーマートを作った時に、協力して青果を納品していましたから。ギフトは27年前に株式会社電通と組んでヤマハ発動機株式会社にこだわりやの商品(野菜ほか)を卸したのが最初の経験でした」

 藤田社長が先代からグループを引き継いだのが1991年のことだ。現在、社員は150名、準社員650名。2011年度のグループの売上は120億円となっている。

 さて、こうしたなか、台湾物産館(笹塚本店)が、2006年7月にオープンした。台湾行政院農業委員会の東京でのアンテナショップ設立に際して、難しい国際入札をクリアして委託運営を受注した。もともと池栄青果は台湾産マンゴーやパパイヤなどを取り扱っていたことから入札への打診があったものだ。

 「店舗は現在、安定しています。店舗にお出かけになる方は、台湾に興味がある方、台湾の方、昔、台湾に住んでいた方と限られていますから、今後、ネットショップやギフト(カタログ販売に力を入れていきたいと思います」ネットショップではヤフーが6年目、楽天が1年経ったところ。本部の健闘が期待される。 

プロフィール

藤田克己(ふじた・かつみ)1947年生まれ。東京都出身。1969年、大学卒業と同時に父が経営する池栄青果(株)に入社。24歳の時に神奈川センター(商品センター)の統括責任者に。以後、池栄グループの店舗統括及び業容拡大に尽力。1976年、スーパー経営(フェニックス三田1号店)に進出。1985年、ギフト部門に進出(1997年に株式会社池栄設立)、1987年、東京に戻るとともに「こだわりや」事業を開始(1999年、株式会社こだわりや設立)。1991年、池栄グループを父より引き継ぎ、さらなる池栄グループの発展に挑む。2001年、CVS部門に進出(ファミリーマート・2011年株式会社アイシーズン設立)、2006年、台湾の行政院農業委員会より委託運営を受け、台湾物産館設立。今日に至る。