馬英九総統は28日、台北市二二八和平公園で開かれた二二八記念式典に出席し、二二八事件の犠牲者を追悼するとともに、民主、法治、人権、自由を揺るぎないものにすることが、二二八事件のような悲劇を起こさないことであると語った。
二二八事件は1947年に発生した、民衆による大規模な反政府運動と、それに対する武力鎮圧事件である。闇煙草を販売していた婦人を取り締った役人らが、この婦人を暴行した所、行き過ぎた行為に民衆が抗議。戦後の国民党統治に不満がたまっていたこともあり、抗議運動は全国に拡大。これに対し、国民党政府は軍を動員した武力鎮圧に乗り出した。この事件による台湾人の犠牲者、行方不明者は2万人とも言われているが、正式な被害者の数は現在でも明らかになっていない。
二二八平和公園で行なわれた追悼記念式典には、馬英九総統、郝龍斌台北市長のほか、当時台湾省議会参議院で、二二八事件により死亡したとされる王添灯の孫である王賛紘氏も遺族代表として出席した。馬英九総統は時折台湾語を交えてスピーチをし、二二八事件によって台湾の民主化が進んだと自らの見解を述べたほか、「相手を思いやり、遺族が味わった苦しみをどの様に軽減するか考えることが、この苦しみを再び発生させない為に重要である」と結んだ。
王賛紘氏は祖父である王添灯は、1947年3月11日早朝、突然連れ去られ、行方不明となった。王氏は「3月11日から66年経った今でも、公的機関から祖父の消息を知らされていない」と話し、言葉を詰まらせながら遺族が受けた長年の苦しみを語ると、会場に集まった遺族には涙を浮かべる人もいた。王氏は「二二八事件は、台湾で初めて民衆が政府に対して自らの考えである民主政治を表明、主張した事件である。二二八事件は民主化のであり、二二八事件がなければ、現在の民主化はなし得なかった」とし、現在の民主化は尊い勇士や烈士の犠牲の元にあると語った。
式典の最後には来場者による献花が行なわれ、多くの人が列に並んだ。父親が二二八事件の被害者だと言う男性は「毎年式典に参加している」と話し、馬英九総統のスピーチに対しては「彼自体は(遺族に対して)何もしていない。信じられない。台湾人を低俗なものとみなしている」と語った。別の男性は「(馬英九総統は)口は達者だから。ここで言ったことが実際に守られるかは解らない」と話し、馬英九総統の謝罪や認識が、遺族や当時を知る人には受け入れられていない厳しい現状が浮かび上がった。
この日、新北市や台南市、高雄市など全国各地で追悼記念式典が行われたほか、台北二二八記念館でも記念音楽祭が行われた。また、台北二二八記念館では、二二八事件や、その後の白色テロを経験した画家の涂炳榔氏の特設展が5月26日まで開催されている。