台湾高座会留日70周年歓迎大会が盛大に開催

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壇上の高座会の関係者
壇上の高座会の関係者
会場の様子
会場の様子

喜朗元首相署名の感謝状が里帰り元少年工に贈呈される

台湾高座会留日70周年歓迎大会実行委員会(石川公弘委員長)主催の歓迎大会が、神奈川県座間市立市民文化会館で5月9日、開催され、台湾から約250人の台湾高座会(※)の元少年工及び関係者、日本高座会関係者1050人、合わせて約1300人が集った。

大会は、式典の部、講演の部、アトラクションの部で構成され、その後、台湾高座会、日本高座会に分かれて懇親会が催された。

日本でこれまで開催された元少年工の里帰り歓迎大会としては、1993年6月9日、初めて開催された留日50周年歓迎大会がある。台湾高座会から1400人、日本側歓迎者1800人、計3200人が集う歴史的な大会となった。その後、留日60周年歓迎大会では元少年工740人が里帰りし、この時は、日本政府から卒業証明書、在籍証明書が授与され、また神奈川県議会と大和市長名で両国間の交流への尽力に対し、感謝状が一人ひとりに配られた。そして、今回の留日70周年歓迎大会の目玉企画は、李登輝元総統の講演と森喜朗大会会長(元内閣総理大臣)署名の感謝状贈呈だった。

会歌「故郷を離れて」の合唱
会歌「故郷を離れて」の合唱
石川公弘実行委員長
石川公弘実行委員長

式典の部は、益田駿実行委員会副委員長(元神奈川県議会副議長)の開会の辞で始まり、会歌「故郷を離れて」の合唱、物故者への黙祷と続いた。冒頭の挨拶を行った石川公弘実行委員長は、李登輝元総統の欠席と森喜朗大会会長の欠席を報告した。森大会会長から「私は現在、政府特使としてキューバにいます。本日、皆さんにお渡しする感謝状は、皆様の御苦労に対する日本国民の感謝の印です」とのメッセージが届いた(代読:神奈川県議会日華親善議員連盟松田良昭会長)。

元少年工に感謝状を贈呈する平沼日華議員懇談会会長
元少年工に感謝状を贈呈する平沼日華議員懇談会会長

メインイベントである感謝状贈呈は、国会本会議のため遅れて駆けつけた平沼赳夫日華議員懇談会会長が代行し、壇上の台湾高座会の各区会代表一人ひとりに感謝状を手渡すと会場からは大きな拍手が沸き起こった。平沼会長は、33年前に代議士となり初めての外国訪問が台湾だったこと、日華議員懇談会に実務者会議を設けて、ノービザ、ワーキングホリデー、国立故宮博物院の文物の日本展開催などを実現したことなどを紹介しながら「これからも元少年工の皆様の真心をくみ取って日台の友好親善と発展のために努力をして参りたいと思います」と歓迎の辞を述べた。

羅坤燦台北駐日代表処副代表
羅坤燦台北駐日代表処副代表
李雪峰・台湾高座台日交流協会理事長
李雪峰・台湾高座台日交流協会理事長

祝辞は、羅坤燦台北駐日代表処副代表、大木哲大和市長と続き、式典の部を締めくくる形で、(日本の)春の叙勲で旭日小綬章に選ばれた李雪峰・台湾高座台日交流協会理事長が御礼の挨拶を行った。李雪峰理事長は「私たち少年工は皆80の半ばを越したものばかりです。これからこの会をどうしていくのか、次世代の皆さんに見守ってくださるようお願いします」と呼びかけた。講演の部は、李登輝元総統に代り、李登輝元総統の指名を受けた遠藤三紀夫座間市長が務めたが、これに先立ち李登輝元総統からのメッセージが紹介された。李登輝元総統は「台湾は世界一の親日国であり、その礎を築いたのはこの台湾高座会の活動だと言っても過言ではないでしょう」と高座会にエールを贈った。

遠藤三紀夫座間市長
遠藤三紀夫座間市長

これを受けて遠藤三紀夫座間市長は、「人間の縁」をテーマに、博識と巧みな話術で台湾や高座会との出会い、歴史認識、日本精神などについて語り、「どうかこの台湾高座会留日70周年歓迎大会においでの少年工の皆さん、いつまでも元気に息災でおられ、日本と台湾の架け橋としてご活躍いただきたいと思います」と述べた。

ノーベル化学賞受賞者根岸英一博士
ノーベル化学賞受賞者根岸英一博士

アトラクションの部では、ノーベル化学賞受賞者根岸英一博士の歌、北村友雄元台北稲門会会長の詩吟、オペラ歌手古川精一さんの歌が披露された。

何春樹台湾高座会副会長
何春樹台湾高座会副会長
吉野稜威雄実行委員会副会長
吉野稜威雄実行委員会副会長

歓迎大会の最後には、何春樹台湾高座会副会長が挨拶し、「私たちは常に座間の地を第二の故郷として親しんでおります。私たちもよくよく健康に注意して80周年歓迎大会を期待しております」と語った。閉会の辞は、吉野稜威雄実行委員会副会長が務めた。吉野副会長は「これからの高座会をどうつないでいくかが皆さんの宿題だろうと思います」と高齢化が進む高座会の未来を次世代に託した。

 

※高座会とは、神奈川県高座郡にあった戦闘機「雷電」の生産工場である高座海軍工廠で働いていた台湾の少年工(15歳前後)の同窓組織。当時、海軍当局が新設工廠の工員不足を補うために考えたアイデアは、飛行機を生産しながら勉強すれば旧制中学の卒業資格と将来の航空機技師を約束するというもの。厳しい選抜試験を突破して8400人の少年が合格し、その第一陣が入廠したのが1943年(昭和18年)の5月9日だった。