ドキュメンタリー映画「台湾人生」(09年)、「空を拓く〜建築家・郭茂林という男」(13年)を監督してロングラン・ヒットを続ける酒井充子監督が、台湾と日本の戦後70年の歴史と関係性に向き合った作品「台湾アイデンティティー」を完成させた。キャッチコピーは「かつて日本人だった人たちが語るそれぞれの人生」である。
日本と台湾の友好と交流には、東日本大震災の際の200億円を超える義援金に象徴されるように、特別な意味が内在している。“特別な”とは、1895年から1945年までの半世紀、台湾は日本の統治下にあったという事実である。同化政策により日本語で教育を受けた、いわゆる日本語世代の老人たちは、日本語を話すだけでなく差別と葛藤のなかで、日本人としてのアイデンティティーを育みながら生きてきた。
ところが日本は戦争に敗れた。“日本人になり損ねた”人々は、一夜にして戦勝国の側についたが、逆に蒋介石中華民国国民党政権による言論統制と弾圧の時代(二二八事件=1947年、白色テロ、戒厳令=1949年~1987年)に遭遇する。
本作品には6人の日本語世代の老人が登場。例えば、阿里山のふもと達邦(タッパン)生まれの原住民族女性、高菊花(日本名:矢多喜久子)さん。弾圧により父親が逮捕・処刑され、その後長い間監視された。高菊花さんは呟く。「生まれた時代が悪かったのよ」。
黄茂己(日本名:春田茂正)さん。旧制中学卒業後、約8400人の台湾少年工のひとりとして高座海軍工廠に。台湾帰国後は小学校教員として定年まで勤めた。二二八事件で処刑現場を多く目撃。宮原永治(台湾名:李柏青、インドネシア名:ウマル・ハルトノ)さん。1940年、18歳で志願し、戦場を転戦し戦後はインドネシアにとどまり、オランダからの独立戦争を闘った。会社員として日本出張の際、一度だけ家族に会うべく“戒厳令”下の台湾に立ち寄ったが、これが最初で最後の里帰りとなった。
驚かされるのはいずれの老人もいまだに深い日本への愛着、日本人としての誇りともいうべき精神を大切にしていることだ。インタビューを受ける老人たちの涙が頬を伝う。酒井監督は「かつて日本人だった」日本語世代の老人一人ひとりに問いかける。「あなたは今、何人ですか?日本人ですか」と。
※7月6日より、ポレポレ東中野ほかで全国ロードショー開始。