自民党の衆参両院からなる「日本・台湾 経済文化交流を促進する若手議員の会」(略称:日台若手議連)が設立されたのは、2006年4月。事務局長として参画し、台湾との交流や政治課題に精力的に取り組む秋元司議員に台湾との関わりを聞いた。
Q日台若手議連について
A議員になってから、台湾とは日華議員懇談会(日華懇)を中心に立法委員や政府関係者と交流がありましたが、日華懇は超党派でもあり、なかなか与党だけの思いは伝えられませんでした。一方、自民党は伝統的に青年局が主体となって台湾との交流を進めておりますが、青年局は45歳までという決まりがあります。そうしますと(45歳以上の議員は)日華懇を通じてしか活動ができない。そこで、「日本・台湾 経済文化交流を促進する若手議員の会」(略称:日台若手議連)を作りまして、岸信夫議員を会長に、私が事務局長の立場で活動を始めた次第です。
台湾は我々にとって非常に近い存在ですが、逆に台湾の皆さんからも、こんなに日本と親密な関係にあるのに、「台湾はまだ国として外交的に認められていない」「ビザの問題、運転免許証の問題がある」など、様々な問題があり、これらを克服していこう、日台若手議連を通じて意識を高めて活動していこうと考えたわけです。
Q東日本大震災と日台交流について
A大震災の時に、台湾の皆さんから寄付を集めていただき、また、ボランティアによる救援活動などマンパワーも派遣いただき、大変、お世話になりました。しかし、震災以前にも日台は深い交流があったと思います。ただ、(批判ではなく、客観的な事実を申し上げれば)民主党政権時代は、あまり日台交流は盛んじゃなかったのではなかったかと思っています。
台湾側も国民党政権から民進党政権に変わり、再び国民党政権に戻った形ですが、自民党政権時代と民主党政権時代では、どういうふうに交流していこうか、迷われたと思うんですね。結果的に、台湾側の外交政策は成功していると思いますし、受け止める日本側も決して政権が変わったとしても外交面で大きな変化はないと思います。けれども交流という意味では民主党政権は、どちらかというと、中国に対して大分配慮しすぎた傾向があるのではないかと感じています。
Q宝塚歌劇団の台湾初公演、国立故旧博物院収蔵物の日本展覧会の開催について
A文化交流が深まることは両国間が近づくことにつながります。宝塚歌劇団という日本のメジャーな劇団が台湾に行くのもひとつです。それ以外にも日本のアーティストたちが台湾で人気があってCDなども売れていると聞きますから、その流れの一環として宝塚歌劇団が公演を行うことは喜ばしいことだと思います。
Q日台漁業交渉調印について
A馬英九総統も2期目の仕上げの時に来て、これまでは大陸向けの発言が多いのかなと思っていましたが、そうではなく、台湾独自の道への思いや雰囲気を行動やメッセージでほのめかされています。そして、日本との関係をもっと発展的にしていきたいと自ら示されていると思います。その象徴が日台漁業協定調印の道筋です。17年を経てようやくここに至りましたが、背景に尖閣問題があります。
立場と主張があるなかで、互いが共有の海として、話し合って経済活動をしようという協定が結ばれたことは、まさに台湾側が大陸に対して尖閣問題では必ずしも追随しないというメッセージを馬英九総統が示されたことだと思います。日本も台湾と経済の友好関係を結んで漁業協定をしっかり守るなかで、関係を発展的に前進させて行くと。私はこの協定を高く評価させていただいていますし、このことが両国間の平和につながっていくのだと思います。
Q安全保障について
A北朝鮮の問題や大陸との緊張関係など、(日本を取り巻く環境は)すっきりした形になっていません。お互いに主張し合っている状況で必ずしも良好な関係とは言えませんが日本としては外交の窓口は常にオープンにしてあります。いつでも話しましょうということです。まずは経済交流や文化交流を活発にしていくことが大事です。
台湾とは、今の関係を維持していくことが大事です。超えていかなければならない問題はあると思いますが、ひとつ(日台漁業協定調印)決着がつきましたので、後は、お互いにもっと信頼関係を強化する、交流を絶やさないようにすることが行動の形だと思いますので、こうした関係をどう続けていくか、(鍵を握るのは)自民党の外交政策だと思います。
※「日本・台湾 経済文化交流を促進する若手議員の会」(略称:日台若手議連)
●プロフィール
あきもと司
衆議院議員。自民党東京都第十五選挙区支部長。昭和46年10月23日、東京都生まれ/大東文化大学卒業。衆議院議員事務所学生秘書(後に公設第一秘書)。平成16年7月の選挙(第20回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から出馬)で全国比例代表305613票の自民党2位で初当選。安倍・福田内閣防衛大臣政務官に。平成22年、議席を失うが、平成24年12月の衆議院総選挙に東京都第15区から出馬。比例で復活当選。