台湾の行政院(日本の内閣に相当)は7月22日、公文書における日本時代の名称を「日拠(時代)」に統一することを発表した。以前は「日治時代」と「日拠時代」の双方が使用されていたが、今後、政府が発行する公文書では原則として「日拠時代」が使用されることになる。「占拠」や「占領」の意味を持つ「拠」を使うことで、国家として日本時代への認識を明確にしたわけだが、この決定をめぐって、有識者から批判の声が噴出している。
1895年から1945年までの50年間、台湾は日本の植民地であった。そのため戦後中国国民党が台湾を統治して以降、日本統治時期の名称は長らく「日拠」と呼ばれていた。中華民国にとって日本は敵国であり、台湾が50年に渡って「占拠されていた」と表現しても不思議ではない。しかし1990年代になると、台湾の民主化が進むにつれて、中立的な「日治(時代)」と言う名称が使用され始めた。台湾の教育部は1997年から中学校教科書での名称が「日治」に変更され、現在では全ての中学、高校教科書で「日治」が使用されている。
ところが、今年新たな出版社3社が申請した教科書が、「日拠」と表記したことを理由に教育部に却下されたことから事態は急変。出版社側が反発したのだ。これに対し馬英九総統は「私はずっと日拠を使用している。しかし日治と言う言い方に反対はしない」と発言。また「日治時代」以外に「日拠時代」も容認されるべきだと指摘した。行政院は今回の名称変更は「中華民国の主権と、民族の尊厳」の立場から決定したものだと説明。今後は、各地方自治体にも働きかけるとしている。
しかし、この動きに対して有識者を中心に抗議の声が上がっている。7月23日の自由時報によれば、中央研究院の陳儀深近代史副研究員が「台湾は1895年の下関条約によって、合法的に日本に割譲された領土であり、軍事的な占拠や占領ではない」と主張したと報道。政治大学台湾史研究所の薛化元教授も日本時代の1931年に中華民国の領事館が設置されていたことに言及し、「台湾人を中華民国国民とみなしていたのであれば、台湾に外交機関は設置してはならなかったはずだ」と、中国国民党の「台湾人」解釈の矛盾点を指摘する。
教育部では現在、「日本統治時期」または「日本殖民統治」と言う名称使用を条件付けているが、略称としては「日治」と「日拠」のどちらの使用も認めている。過去に使用されていた名称が再び使用されるという、時代の逆行とも取れる今回の名称変更騒動。「日拠」への反発も根強い中で、今後の変化が注目される。