東京台湾の会は、3月13日、都内で勉強会・親睦会を開催した。勉強会は、喜久四郎会長が保有する映像資料を鑑賞しながら同会長より統治時代の台湾の様子を解説してもらうというもの。東京台湾の会の近年の活動の賜物か、大勢の参加者が集った。
午後1時30分、第一部・勉強会の進行役、喜田修副会長が挨拶し、まず、3.11の大地震の犠牲者を悼み、全員で黙祷を行った。次いで、喜久会長が開会の挨拶を行い、昔から8ミリ映像の撮影や映像収集に興味があったこと、今回、披露するフィルムは昭和14年当時の台湾の様子を撮ったもので、統治時代の日本人と台湾人の様子がよくわかるとの説明があった。
上映は、三宅教雄顧問による喜久会長のプロフィール(喜久会長は、台湾原住民地区の警察官の5男として、1925年<大正14年2月>に生まれた)紹介の後、行われた。映画は台湾の街並みやイベントなどを台北から初めてほぼ全域に渡って紹介するもので、とりわけタイヤル族の男女の踊りが印象的だった。日本人と台湾人が仲良く暮らす様子が描かれていた。“オマケ”に今、台湾で大ヒット中の映画「KANO」(嘉義農林学校)を扱った古いドキュメンタリー映像も流され、参加者は熱心に見入っていた。
第二部・懇親会は、進行が松澤寛文理事だった。呉正男監事の開会挨拶の後、台湾協会の根井洌理事長が来賓として立ち、台湾協会と東京台湾の会の関係や事業内容を紹介した。続いて台湾協会齋藤毅前理事長は、この2月、台湾の大武山(3090m)登山に挑戦し、3000m地点に建立されている高砂義勇隊の顕彰碑にお参りをしてきたことを報告した。
開宴の挨拶は、三宅教雄顧問が行った。美味な料理を味わいながらの和やかな歓談の時間となり、かつての台湾での思い出話に花が咲いた。高座日台の会の野口毅名誉会長、同佐野た香会長も挨拶に立った。閉会の辞は、いつも通り中島欽一元理事だった。