日台交流を促進する「台湾協会」は8月29日、東京・有楽町の糖業会館にて講演会「台湾でドキュメンタリー映画を撮る」を開催した。同会は、台湾に生まれ日本に帰国した日本人の俗称「湾生」らが中心となって組織化された協会。現在は一世代から三世代で、多くの「湾生」が集まった。
講演会は、これまで数多くの台湾ドキュメンタリー映画の監督として知られる林雅行監督を招いて開かれた。林監督は、2004年にTV番組の取材で台湾を訪れて以来、この10年間で40回ほど訪台して映画製作に携わっている。その代表作には、2007年から2013年にかけて台湾を舞台にした3本のドキュメンタリー作品がある。その代表作のダイジェスト版を上映しながら持論を展開し、「なぜ台湾を撮り続けるのか」をテーマに語られた。代表作は「台湾北部でかつてゴールドラッシュを経験した金鉱の街の「風を聴く~台湾・九份物語~」(2007)」、九份とは山を一つ挟んだ街の東洋一の金鉱を描いた「雨が舞う~金瓜石残照~」(2009)、台北から飛行機で約1時間、中国・廈門までわずか10キロメートルという金門島の「呉さんの包丁〜戦場からの贈り物〜」(2013)など。
講演では特に、初めて製作した「友の碑~白梅学徒の沖縄戦~」(2003)の過程で、沖縄県民の俗称とされる「うちなんちゅ」が語った「本土の人は米軍基地のことに興味がない。台湾の人の方が家族同然のように付き合いがある」という言葉が心に突き刺さったことを挙げた。ドキュメンタリー映画製作でしか知り得る事ができない貴重な語りであり、また、一連の映画の上映で参加者らは、現在の地図だけでは読み取ることの難しい、東アジアに生きる人々の営みが陰影をもって浮かび上がってくる事を感じ取っていた。
また、代表三作品の主内容は、日清戦争後、日本統治時代に財閥・藤田組により管理され、後に台湾の実業家・顔家に譲られた九份。世界遺産に登録された島根県の岩見銀山が藤田組による開発であった歴史上の観点から、金瓜石の黄金博物館を中心とした3つの街の交流が生まれ、そして冷戦下には両岸から砲弾が飛び交った金門島。そして祖父の代まで廈門で農具や漁具をつくり、金門島へ移住した父の代から島に落ちている砲弾で包丁をつくるようになった呉さん。それぞれの作品の製作過程を監督自らが語る事で、ドキュメンタリー映画を撮り続ける意図を話していた。
上映後、「湾生」の一世代の人は「映画を観て金瓜石のお友達が懐かしく思われた。以前は同窓会として台湾で集まることもあったけれど…」と話していた。また、湾生二世や三世も映画をきっかけに舞台となった場所を訪問しているという人もおり、さらに留学生らからも高い関心が寄せられた。
なお、尖閣諸島の問題で現在公開延期となっている林監督の新作「老兵挽歌」(2011)が、具体的に東京・大阪での劇場公開の予定が明らかにされた。作品は、国共内戦で中国本土から台湾に渡り、退役した国民党兵士たちが主人公で、異郷の地で「栄誉国民」=栄民として、一般社会からは隔たりのある軍の施設「栄民の家」で送る老後の暮らしや、故郷での若き日々、そして大陸で暮らす家族への思いを語る内容となっている。