日本の桜の植樹で和解を!

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昭和5年、日本統治下の台湾台中州能高郡霧社(現在の南投県仁愛郷)で台湾原住民のセデック族と日本人が衝突した「霧社事件」から今年で85年目を迎える。

日台スポーツ・文化促進協会(松本彧彦代表)と台湾南投県仁愛郷公所(孔文博郷長)は2月1日、共同で「“霧社に桜を”台日文化交流・友好の桜植樹式典」を開催し、松本代表及び孔郷長、南投県の陳正昇副県長、交流協会台北事務所の沼田幹夫所長、亜東関係協会の羅坤燦秘書長ら来賓のほか、日台両国の有志ら計約500人が同事件発生現場となった旧霧社公学校跡地に集い、和解と友好の証に桜を500本植樹した。植樹した桜の種別は、染井吉野(ソメイヨシノ)に良く似た「神代曙(ジンダイアケボノ)」と台湾では珍しい「枝垂桜(シダレザクラ)」が選ばれた。準備期間として、桜の検疫期間の1年間を含め、約2年間を要したという。

植樹
霧社の地に日本の桜が植樹された(提供:日台学生交流会)

松本代表は「霧社に植樹をするに先立ち、セデック族の方とお話をした。すると彼らは80年以上過ぎた今でも、まだ日本と和解した認識を持っていないことを知り、驚き、複雑な気持ちになった。しかし同時に彼らは日本と和解して友好を深めることを望んでいることも分かり、嬉しく思った。この桜が過去の悲しみを癒し、いつの日か微笑みをもたらしてくれることを願ってやまない」と語った。

一方、孔郷長は「日台スポーツ・文化推進協会が500本の桜を仁愛郷に贈り、特別な1日になったと思う。この桜をきれいに咲かせるように頑張っていきたい」と述べた。

❝霧社に桜を❞に向けた寄せ書き
❝霧社に桜を❞に向けた寄せ書き(提供:日台学生交流会)

 

伝承されてきた“東京音頭”

同式典では、松本代表が孔郷長に桜の目録を手渡したほか、仁愛小学校生徒による踊りや喜裂克文化芸術団による原住民舞踏の披露なども行われた。なかでも盛り上がりを魅せたのは、全員参加による「東京音頭」だった。日本統治時代の台湾において、日本人教師が生徒に東京音頭を教えたものが伝承されており、仁愛郷では今でも皆、踊ることが出来るという。

松本代表は「東京音頭には私も浴衣に着替えて参加した。現地の方々が踊れるなんて思ってもみなかった。また、こんなに多くの日本人がいっぺんに霧社を訪れたのは近年なかったであろう。歴史に残るものだ。桜が育てば霧社は桜の名所になり、多くの人々が訪れる観光地に発展するだろう。より多くの日本人が霧社に足を運んで欲しいと思っている。霧社の人々も歓迎してくれるだろう」と涙ながらに語り、日本と霧社の和解を表示した。

 

桜を植えて約10年、、、

松本代表は10年以上前より台湾に桜を植えてきた。日本統治時代に中央大学に通っていた台湾人学生が、学徒動員で学び舎を去った後、戦争で日本が敗戦し、台湾の日本統治が終わったことにより中大に復学できなくなった。そして戦後50年位経過してから、中大の計らいで特別卒業証書授与式を圓山飯店で行った。これをきっかけに松本代表をはじめとした中大OBたちは台湾と親善を深めるため、友好の証に桜の木を植えようという話になったという。

最初の桜は、海部元総理大臣が友好の桜という字を書き入れ、中正紀念堂に植樹した。その後、東日本大震災が発生し、台湾からの多額の義援金に対する感謝の意を示すべく、一瞬で終わるイベントだけではなく永続的に形に残るものとして桜の木を植え続けていこうということになったと松本代表は語る。松本代表は日台の歴史を若い世代に伝えつつ、自身も日台友好促進のため、これからも様々な努力をしていく意向も示した。

日台スポーツ・文化促進協会の松本彧彦代表
日台スポーツ・文化促進協会の松本彧彦代表

 

 

【霧社事件】

1930年10月27日に台中州能高郡霧社(現在の南投県仁愛郷)で起こった台湾原住民による日本時代後期における最大規模の抗日暴動事件。日本人約140人、日本軍人・警察官約30人が死亡、原住民約1000人が死亡または自殺した。

 

 

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