台北と福岡空港の定期便は現在、一日5往復運航されるなど、台湾・九州の交流が盛んとなっている。今年三月より台湾南部の高雄間の直行便も2往復されるなど、さらに結びつきが深くなるとみられる。九州台湾商工会の会長で自らも幸華貿易を経営する頼 玉汝(LAI YU JU)会長に話を聞いた。
Q :お若くお見受けしますが。
A :1967生3月生まれですので、若く見られますがもう48歳になります。
Q :福岡での主要業務は。
A :本業は貿易会社ですが、このほか、ミーナ天神、マリナタウン、ソラリアステージビル、笹丘ダイエーなどの拠点でジュエリーショップも経営しています。
Q :貿易業の扱い品目は。
A :インテリア雑貨、キャラクター雑貨、ギフトです。今後は新ジャンルとして「焼き小籠包」を主力にした飲食業の進出も計画中です。博多駅か天神周辺で人の集まる場所を探していますが、目下、好立地を探している最中です。本当の台湾の味をぜひ福岡の人に味わっていただきたいと思っています。もちろん日本人の口に合うように若干の手直しをすべきだというアドバイスはもらっています。
Q :新ジャンルへの意気込みは。
A :小さい時から「自分が家族を守らなければ」という強い気持ちを持ち続けてきたことです。
父が仕事で体を壊したこともあり、小学校を卒業してすぐに働き始めました。12歳の時です。
最初はブティックに勤務しましたが3年後の15歳で独立しました。何も無いところからの出発で、いつも「為せば成る」と「思考現実化」という2つの言葉を座右の銘としてここまで来ました。
Q :その間の苦労は。
A :ゼロからの出発のためそれは当然ですが、周囲や環境を変えることは難しいので、自分が環境に合わせるように努力しました。日本に住むと決めた時にも、日本の社会で受け入れてもらえるように「納税、勤勉、勉強」をモットーにしました。
Q :日本にはいつ。
A :福岡へ来たのは11年前です。その前は東京で会社経営していました。今でも東京と大阪に
顧客がいます。
Q :東京から福岡への移転理由は。
A :以前の仕事で福岡へ来る機会があり、その時、福岡の人々の開放性と温かみを感じたことがきっかけです。福岡人は台湾の人と似通った人間性があると思っています。
Q :流暢な日本語を話されますが、日本に来た当初日本語は難しかったのでは。
A :難しかったですね。何万点もある雑貨を扱いますので、必死で日本語を覚えました。日本語を覚えるために試行錯誤しましたが、一番効果があったのは歌を覚えることでした。文字を見て、手で書いて、メロディーに乗せて発音をすることが外国語を覚えるための早道だと、いまも思っています。
Q :仕事以外に活動は。
A :私は九州に永住すると決め、子供たちも一緒に住んでいるのですが、出来れば九州にいる台湾の人たち同士の大同団結するような場が出来ればいいと思っています。私はいま九州台湾商工会の会長ですから、九州には多くの台湾人グループがあります。ビジネス、文化交流、留学生会、長老の方のグループなど10くらいあると思います。これをまとめて大同団結し、お互いに助け合い、社会に貢献することが出来ればいいと思っています。リーダーの出現が待ち望んでいます。
(インタビューを終えて)
「アグレッシブ」と「誠実」という性格が両立しないケースが多いなかで、頼会長はこの両方を兼ね備えた珍しい人という印象を持った。幼少の頃からの苦労の積み重ねがそうさせたのではないかと推察されます。「60歳定年を一応の目標とし、その時までに20億円くらいの資産は持っておきたい」という言葉も嫌味なく聞こえてしまう程です。これからも福岡と台湾の若い人に良い刺激を与えていただきたいです。