「湾生である私は台湾人として生まれた。台湾で死ねれば本望である」(関東地区基隆会渡辺行忠世話人代表)。
湾生とは、1895~1945年に台湾で生まれ台湾で育った日本人を差し、その湾生が集まる同窓会がある。それが「関東地区基隆会」。現在日本に残っている数少ないの湾生の会である。このほど7月20日、ホテル・グランドアーク半蔵門で第21回を迎えた。
もともと基隆にあった日清小学校の同窓会が基となってできた同会だったが、湾生が高齢化などを原因に激減している現状を受け、基隆全体の湾生が集まる会となり、そして現在では花蓮など異なる地区出身の湾生や、台湾に関わる人なども集まり、今年は基隆出身の湾生24人のほか全体で49人の出席が叶った。同会の渡辺世話人代表は、「毎年このように湾生の同窓会を行っているのは同会だけであり、誇りに思う。この先3年4年とずっと続けていきたい」と話した。
湾生のメンバーは、当時の基隆の地図を見て懐かしんだり、同級生と昔話で盛り上がったりカラオケをして団らんした。中には50年ぶりに同級生との再会するメンバーもおり、会場が終始笑顔に包まれていた。
また、会場に置いてあった資料の中には、当時の会社名簿も置いてあり、自身の親の会社名が大きく取り上げられているのを発見した山澄庸子さん(89)は、「家に帰って亡き父に報告します。今日同会に参加して、この事を知れて本当に良かった」と涙ぐみながら話した。
湾生のメンバーによると、終戦後、中華民国政府の方針により強制送還、つまり日本に「引揚げ」となってからが壮絶な戦いだったという。台湾時代どんなに地位が高くとも、会社を起業し財産を持っていたとしても、この「引揚げ」により、基隆港から船に乗る際、リュックサック1つと1000円のお金しか持つ事が許されず、日本での生活は想像を超えるものだったそうだ。その壮絶なる時代を皆で生き抜いた「湾生」は、現在の日本にとっても大切で貴重な存在なのである。
なお、同会には台湾協会の森田高光理事長や、女優でエッセイストの一青妙さん、さらに湾生のドキュメンタリー映画の監督として知られる林雅行監督など多数の来賓も出席した。
一青さんは「会員皆が基隆を愛している。この会をどうか多くの日本人に知ってほしい」と話した。また林監督は次作として、「心のふるさと」と「湾生いきものがたり」の二本立てを制作中で、年明け2月か3月には映画館での上映ができるよう準備を進めているという。
(2017/7/20)