熊本に「大甲の聖人・志賀哲太郎」の顕彰碑を建立

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志賀哲太郎先生の顕彰碑の前で

日本統治時代の台湾で26年間初等教育に携わった「志賀哲太郎」の顕彰碑が熊本県益城町上陳(旧津森村の中心地)に建立され、12月19日に除幕式が行われた。志賀哲太郎顕彰会の主催に益城町が後援し、顕彰会会員、日台交流関係者など約70人が参加した。

除幕式で紅白の曳綱を引く関係者

志賀哲太郎は1865年に現在の益城町田原に生まれ、明治法律学校で学んだ後、九州日日新聞の記者として活躍する傍ら、佐々友房、古荘嘉門、安達謙蔵らとともに活動し、往時、「政界の闘士」と呼ばれるほどに活躍した。

30歳を過ぎてから教育に志し、日清戦争後に日本が領有したばかりの台湾(台中市大甲)に渡って公学校(小学校)の教員となって、後に台湾の発展に寄与した有為の人材を数多く育てたことで、台湾教育史に大きい足跡を残した。

また、台湾統治初期の混乱期にあって、現地の人々の心情をよく理解し、親身になって生活を応援するとともに台湾文化の庇護者ともなり、台湾社会発展の基礎を形成する一端を担った。

その高邁な人格と慈愛に満ちた行いは、生前から地元の人々に「大甲の聖人」と呼ばれ、没後、台湾の様々な変革期を経てもその評価が変わることなく、現在「神」として文昌祠(日本の天満宮に相当)に祀られるとともに、大甲区鐡砧山南麓に大きな墓碑と生誕百年を記念する顕彰碑が建てられている。

出生の地・熊本では生誕150周年に当たる平成27年に地元の郷土史家や民間団体「日台交流をすすめる会」会員らが記念行事の実行委員会を兼ねて「志賀哲太郎顕彰会」を立ち上げて顕彰碑建立の運動を開始した。その後約6年間で日本全国の有志約350名、台湾関係者20余名から浄財が寄せられ、このほど台湾の方角を向いた顕彰碑が完成したもの。

除幕式に先立って行われた式典

除幕式の前に開かれた式典では、宮本睦士顕彰会会長の挨拶の後、来賓の代表として、坂本哲志内閣府特命担当大臣、木原稔内閣総理大臣補佐官、石元光弘熊本県上益城地域振興局長(熊本県知事代理)、西村博則益城町長、陳忠正台北駐福岡経済文化弁事処長(総領事)が祝辞を述べた。

また、記念碑に揮毫した安倍晋三前総理大臣のメッセージ「かつて台湾・大甲の小学校で教育者として生涯を捧げ、多くの教え子を育成した志賀哲太郎先生の功績が現在の日台友好の礎となっていると確信している。顕彰碑の建立を通じて、志賀哲太郎先生の功績が多くの人に理解されるきっかけとなり、日台の友好関係が更に深まることを祈念する」が披露され、ひときわ大きい拍手を集めた。

安部晋三前総理大臣の揮毫による碑文