「日本と台湾の絆を紡いだ土木技師 八田與一」 6.13 漁火会 八田修一氏講演

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八田修一は「日本と台湾の絆を紡いだ土木技師 八田與一」を題として講演した

名古屋の経営者団体の名古屋経営者漁火会主催の講演会が6月13日、名古屋国際センターで行われた。名古屋地域の中小企業の経営者を中心に「立派な日本人たれ」をスローガンに、正しい歴史を学ぶ事で健全な経営を目指す目的で毎月勉強会を行っているもの。

今回は、台湾世界遺産登録応援会の代表理事八田修一氏を招き「日本と台湾の絆を紡いだ土木技師 八田與一」を題材に講演された。冒頭、八田與一を祖父に持つ八田修一氏が代表理事を務める「台湾世界遺産登録応援会」の紹介から始まり、「台湾には世界遺産候補地が18か所あるがUNESCOに加盟していないため世界遺産が一つもないという事実」「日本から台湾の世界遺産登録を応援する目的で当会が活動をしている」などの説明がなされた。

八田與一は、東京帝国大学土木学科の卒業後、1910年(明治43年)に台湾に渡り、台南上水道の調査を経て、嘉南大圳(烏山頭ダム)の調査を開始した。

嘉南平原は雨季には洪水、乾季には干ばつが襲い、塩害も加わり、農民は三重苦の状況であった。この嘉南平原を何とかして灌漑するため、與一は大学で教えを受けた広井勇教授の言葉「橋を架けるなら人々が安心して渡れる橋を造れ、工学はそれを使う人たちのためにある」を忘れなかった。

1920年(大正9年)、地震に強いセミハイドロリック工法(中心部はコンクリート、周りは礫、粘土で固める工法)を採用し、大型土木機械を米国から導入して烏山頭ダムは着工された。途中導水管トンネル爆発で約50人が殉職し、難工事であったが與一の指揮により1930年(昭和5年)に嘉南大圳(烏山頭ダム)がついに完成した。ダムの堰堤は長さ1274m×高さ56mで濁水渓と曽文渓との間の嘉南平原92km×32kmを潤し、給配水路は地球半周の1万6,000kmになった。嘉南大圳完成により平原は台湾第一の穀倉地帯となった。

名古屋経営者漁火会の講演会

講演は「助け合う日本と台湾 分かち合う精神で実践」と「日本精神」が主な内容だった。與一は嘉南大圳(烏山頭ダム)の工事、その後の灌漑の方法による「分かち合う精神」(差別をしない平等の精神)を実践。具体的には次の5点。

  1. トンネルガス爆発事故対応で台湾人と日本人を同等に扱った。
  2. 関東大震災後の解雇の際、優秀な技師から解雇し地元作業員の雇用を守った。
  3. 殉工碑は亡くなった順に台湾人、日本人を問わず氏名を彫った。
  4. 三年輪作給水法で嘉南大圳全域に水を供給。(15万町歩、60万人農民)
  5. 導水源の濁水渓と曽文溪の間に麻魚寮分水工を設け、南北間で渇水時の水供給を準備。90年間で2回使用。

さらに「日本精神」とは約束を守る、礼節を重んじる、嘘をつかない、浪費しない、法を守る、勤勉である、時間を守る、人の手柄を横取りしないなど台湾人の間で語り継がれてきた、である。

李登輝元総統が2002年の「日本人の精神」講演論文で、第一に「公に奉ずる」精神こそが日本人本来の精神的価値観である事。第二に嘉南大圳工事のように伝統的なものと進歩を適当に調整し、三年輪作灌漑の例のように新しい方法がとられても農民を思いやる心には伝統的な価値観「公義」は変わることがない事。第三は八田與一夫妻が今でも台湾の人々によって尊敬され、大事にされる理由に、義を重んじ、誠を持って率先垂範、実践躬行する日本精神が脈々と存在している事。以上が列挙された。日本精神の良さは「口先だけではなく実際に行い、真心をもって行うというところにある」と強調された。「当時の日本人は気概を持って生きていた」とも加えた。

烏山頭ダムの近くに「資源共享」の李登輝元総統の揮毫碑がある。與一は「未来を見据えて生きよう」と語っていた。烏山頭ダム完成時に50年後には土砂が累積して使えなくなったとき、「導水路として烏山頭ダムを使えばいい」と與一は語り、事実1973年に台湾政府は上流に曽文ダムを造り、その計画を実践している。2021年のダム着工100周年記念祭には、金沢と台南をWEBで結んで蔡英文総統、頼清德副総統、蘇貞昌行政院院長が出席した。安倍元首相もビデオメッセージで「真の友人だけがつくる心の交わり」と主張して日台関係の強化を述べた。

「八田與一氏の功績と台湾と日本人と台湾人が分かち合いの精神で嘉南大圳を造った事、今もその恩恵を受けているという事実を、一般の日本人に知らせ、日台文化交流を深化させていく必要がある」と結んだ。