日台友好団体の「日本李登輝友の会」は6月25日、東京都内で第70回台湾セミナーを開催した。今年は1972年の日台断交から50年にあたり、2011~16年全日空の台北支店長を務めた島一範氏(現・同社東京支店支店長代理)が民間航空から日台関係を振り返るべく「日台50年―知られざる航空史」と題して講演し、約30人が耳を傾けた。
島氏によると、断交後、中国が日本政府に対し、日本の空港で中台の航空機が並ばない、日本乗り入れの中華航空機が旗(青天白日満地紅旗)を外す―などを求め、日台間の航空政策は混乱に陥り、ついには1974年4月から75年8月まで日台間には日本、台湾の航空会社の便がなくなる事態にまで陥った。
その後、再開されたものの、日台中の政治的なしがらみにより日本では「台湾とは羽田空港、中国とは成田空港」と棲み分け状態が続いた。
島氏は「(発展の)転機となったのは、台湾に国民党の馬英九総統(在任2008年6月~16年5月)が誕生したこと」と述べ、馬政権が台中間の直航便など「両岸三通」に踏み切ったのが大きかったと説明した。経済交流が促進され、コロナ禍前は、台湾と中国の約40都市の間を結ぶ航空路が運航されることになった。
日台間も11年、オープンスカイ協定が結ばれて自由化が進み、10社以上の航空会社が続々と参入、コロナ禍前の19年には日本を訪れた台湾人は年間約490万人、台湾を訪れた日人は同約220万人に上った。
島氏は日台間の航空会社による交流は経済だけではないというエピソードとして、自分が支店長を務めていた12年から全日空台北支店が毎年、桃園空港の地元、桃園県の小学生を招待して「機体見学会」を開催していると紹介した。児童が救命胴衣を着けるところなどの写真を示しながら、「(台湾の)子どもたちに夢を与えるようなことを、続けていきたい」などと語り、地域との繋がりを重視する考えを示し、参加者から共感を得ていた。
日本李登輝友の会は7月24日午後1時半~4時、東京都千代田区の大手町サンケイプラザ4階大ホールで、「日台関係の50年―何を失い何を得たのか」というテーマでシンポジウムを開催する。高市早苗・自民党政調会長が基調講演を行い、櫻井よしこ氏、福島香織氏、渡辺利夫氏、林建良氏がパネリスト、浅野和生氏がコーディネーターを務める。参加費会員3000円、一般5000円、学生2000円。要事前申し込み。7月19日締め切りだが、定員500人(先着順)に達したら終了。詳細は日本李登輝友の会のHPで、このHPから参加申し込みができる。入会についても同HPで。