福岡の台湾研究会(会長:瓜生晴彦氏)の8人が10月21日~27日の一週間、台北、台南、高雄、屏東の史跡を中心に台湾を回り、これまで文献等から学んできた知識を確認・体感した。
その中でも最も大きいエポックメーキングな出来事の一つは、会員の一人である斎藤吉彦氏が台南大学で父親の在学中の記録に出会えたことだった。
斎藤氏の実父(旧姓・峯浦匡吾氏)は、昭和19年に台南師範学校の教員養成課程を卒業後、国民学校(小学校)で教鞭をとり、戦後の2年間製糖工場に勤めたあと、日本に引き揚げている。
斎藤氏は台湾研究会の旅行が台南を経由することを事前に知って台湾総督府残務整理事務所が発行した卒業證明書を持参。同行メンバーと一緒にぶっつけ本番で台南大学(旧台南師範学校)を訪問した。
最初はアポイントも無く構内に入れて貰えるかどうかに不安を持っていたが、ガイドの徐啓祥氏が守衛所で「メンバーの父親が若い日を過ごした学び舎を見るだけでもさせてあげられないか?」と粘り強く交渉してくれたところ、本部に問い合わせてくれ、入構が許された。
感慨に浸りながら構内を見て回っていると「校史陳列室」の看板があり、その下に「歸來吧-校友們 =卒業生お帰りなさい」と書かれているのを見つけ、通りかかった職員らしい人に事情を話して入室を求めたところ、事務室から鍵を借りて中に入ることが出来た。
そこには学校ができた時の写真や日本時代からの校長・学長の写真、様々な歴史を示す資料などが整然と展示され、タイムスリップしたような気持ちにさせる部屋だった。
やがて2,3の職員が来てメンバーが足を止めた写真や資料について丁寧に説明を始めたところで斉藤氏が持参した父親の卒業證明書を遠慮気味に取り出し、大学に何らかの記録が残っているかどうか尋ねたところ、そのうちの一人が「少し時間がかかるかも知れないが・・・」と言い残して事務室に引き返した。
その職員が帰ってくるまでにそれほど長い時間は掛からなかったように思われたが、少し興奮気味に帰ってきた小脇には台南大学の小豆色のファイルが抱えられ、記録が見つかったことが伝えられた。斎藤氏がゆっくりとファイルを開いたところ、そこには紛れもない父親の在学記録と成績表に写真のコピーが綴じられており、周りのメンバーから「オォ!」という歓声が上がった。
斎藤氏本人は「いやぁ成績はそれほど良くもなかったようだ」と照れながら少しだけ目の縁を赤らめて80年ぶりに感じる父親との対面を噛みしめていた。
コンピュータで情報が蓄積・管理されているとはいえ、様々な部署へ問い合わせてくれた職員の努力、その前に校史陳列室へ入れたこと、もっと言えばアポなしに入構が許されたことなど、いくつもの幸運が折り重なって実現した80年ぶりの父子の対面にメンバーの感慨もひとしおだった。
最後は記念のファイルを真ん中に「卒業生はいつでも帰っておいで!」を意味するカエル像をバックに訪問メンバーと学籍簿探しに奔走した職員を徐氏(右)が記念の写真に納めて大学を後にした。