【中秋の佳節に寄せて ― 自民党初の女性総裁誕生を祝す】

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【読者投稿】自民党総裁選は十二日間に及ぶ激戦の末、ついに決着した。五人による乱戦を制し、髙市早苗と小泉進次郎が決選に進出。第一回投票では髙市が首位、小泉が二位となった。

過半数に届く候補がいなかったため、舞台は国会議員票による決選へ。男性議員が圧倒的多数を占める議場で、髙市は厚い壁を突き破り、自民党結党以来初めての女性総裁となった。

自民党は与党であり、与小野大といえども野党は群雄割拠しつつも統一感を欠き、力を発揮できていない。

したがって、髙市の当選は、彼女が第104代首相に就任し、日本史上初の女性首相という記録を打ち立てる可能性が極めて高いことを意味している

1885年、伊藤博文が初代首相に就任して以来、内閣制度は明治・大正・昭和・平成・令和と五つの時代を経て140年余。

髙市の誕生は、男性が独占してきた日本政治にとって画期的な出来事であり、政治の風景を一変させる契機となろう。

髙市の台頭は偶然ではない。2021年、安倍晋三元首相の強い支援を受けて総裁選に挑戦し、一躍脚光を浴びた。

敗れはしたものの、その存在感を鮮明にし、保守派の新たな旗手として地位を築いた。

安倍逝去後、派閥は分裂したが、髙市は安倍路線を守り抜き、遺志を継ぐ唯一の人材として浮上した。

今回の選挙序盤、若く端正な小泉進次郎は高い人気とメディアの持ち上げによって優勢を保った。

さらに保守派の小林鷹之の出馬が保守票を分散させ、髙市は苦境に立たされた。

だが人気は必ずしも実力を意味しない。討論が進むにつれ小泉の論点の薄さが露呈し、さらに「ステマ騒動」(ネットサポーター水増し行為)でイメージが失墜。選挙直前にフィリピン訪問で討論を避けたことが致命傷となった。

小泉は中心となる理念を欠き、数々の民意とかけ離れた逆行的な行動が支持率の急落を招いた。

一方で、高市は一貫した原則と明快な論理を貫き、その姿勢は鮮やかな対比を成した。

保守層の支持が回帰したことも追い風となり、高市の支持率は逆風の中で上昇し、ついには形勢を逆転して党首の座に輝いた。

髙市が勝利した要因は五つに集約できる。

第一に、安倍路線の継承で保守層を結集したこと。

中国の軍事パレードで習近平、プーチン、金正恩が揃って登場し、日本を敵視する構図が明白となり、国民の危機感を煽った。保守意識の高まりの中、安倍の理念を継ぐ髙市は自然と支持を集めた。

第二に、積極財政と金融緩和で経済再生を訴えたこと。

「アベノミクス」を継承し、物価高に苦しむ庶民の切実な声に応えた。株式市場も即座に反応し、路線選択への期待を裏付けた。

第三に、小泉が石破路線を踏襲した誤算。

石破政権は一年で三連敗し、対中融和と財政緊縮政策はすでに国民から否定されていた。その石破路線を引き継いだ小泉は民意に背を向け、自ら失速を招いた。

第四に、選挙戦の不手際でイメージを失ったこと。

ネット炎上への対応を誤り、討論から逃げる姿勢を示したことで「刷新」「改革」を掲げた若手政治家の看板が一夜にして剝がれ落ちた。

第五に、党員と国会議員の冷静な判断。

メディアが小泉を過剰に持ち上げる中でも、党員と議員達は浮つかず、護党と現実的な政権運営を重視して票を投じた。

自民党は参議院選挙で大敗を喫した後、痛切な反省のもと「解党的出直し」を掲げ、たとえ党を解体してでも大胆な改革を断行し、党風を刷新することを誓った。

小泉もまた力強く決意を表明し、不退転の姿勢を示したが、その言動は一貫性を欠き矛盾を露呈し、結果として有権者を大いに失望させた。

髙市は安倍路線の継承者であるだけでなく、米国議会での勤務経験もあり、親米・親台の立場を鮮明にしている。

2021年、高市が自民党総裁に初挑戦時には台湾の蔡英文総統が公開でエールを送ったことも記憶に新しい。台日関係のさらなる深化も期待される。

石破政権が米中間の「等距離外交」を試みて迷走し、自民党と保守民意の乖離を招いた過ちを思えば、小泉が同じ道を辿れば党の基盤を揺るがす危険がある。

髙市の勝利は日本「女性初」の歴史的快挙であると同時に、自民党が再生する好機でもある。

激動する国際情勢の中で、髙市が「自由と民主主義」という共通の価値観の下で確かな舵取りを行い、日本を安定へと導くことを切に望みたい。

2025年10月6日 中秋の佳節

医療法人輝生医院理事長大田一博敬具