李登輝氏は「ミスター・デモクラシー」と称されていた

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曾文恵夫人と李登輝氏

 台湾の李登輝元総統は、台北市内の入院先のである台北栄民総医院病院で死去した。2020年2月に自宅で牛乳を誤嚥(ごえん)し、肺浸潤(はいしんじゅん)が見られたため入院治療していた。ここ数日は容体の悪化が伝えられ、蔡英文総統が7月29日、急きょ頼清徳副総統、蘇貞昌行政院長とともに見舞いに病院を訪れていた。

  太平洋戦争中に台北高等学校(現台湾師範大学)を卒業し、京都帝国大学(現京都大学)農学部に進学。しかし戦争により学徒出陣で旧日本陸軍に入隊。日本で終戦を迎えた。 戦後は台湾に戻り、後に2度にわたり米国に留学。1968年に米コーネル大学で農学博士号を取得後、農業問題の専門家として当時の国民党政権に重用され、行政院政務委員や台北市長、台湾省政府主席、副総統などを歴任した。

 副総統時代の1988年、蒋経国総統の死去により台湾出身者として初めて総統に就任。憲法改正で実現させた史上初の総統直接選挙(1996年)で当選して続投し、2000年の退任まで12年にわたり総統を務めた。

  台湾の民主化に大きく貢献し、米ニューズウィーク誌から「ミスター・デモクラシー」と称された。 総統退任後は独立志向を鮮明にし、「台湾ファースト」を掲げる政党・台湾団結連盟の精神的指導者と仰がれた。近年は国家アイデンティティーの確立や市民社会の強化などを柱とした「第2次民主改革」の必要性を訴えてきた。大の親日家としても知られ、総統を退いてからは日本を計9回訪れており、2018年6月の沖縄訪問が最後だった。