17世紀の日本、中国、台湾を駆け抜けた英雄の遺徳を偲ぶ、鄭成功生誕祭が7月13日・14日に長崎県平戸市で開催された。
鄭成功は中国人と日本人の混血児。父は福建省出身の海商で鄭芝龍、母は平戸武士の娘で田川マツとされる。ある日、母マツは身重の体で千里ヶ浜に出かけ子安貝(宝貝)を拾っていたところ、
急に産気づいたため浜辺の大きな石によりかかり鄭成功を出産。それが今から388年前の1624年7月14日のことだった。
実は今回の鄭成功生誕祭は節目の年でもある。1962年に台南市の明延平郡王祠から分霊された鄭成功廟が平戸に建立され、生誕祭が始まって今年が50年目、台湾からの平戸親善訪問団が来訪するようになって今回で30回目だ。そのため、今回の訪問団は過去最大で50名を超えた。13日に開催された前夜祭では、平戸側は最大の敬意をもって訪問団を歓迎。総勢150人が参加する賑やかな会となった。主催の平戸観光協会会長藤澤美好氏、平戸市長黒田成彦氏からの歓迎挨拶の後、世界鄭氏宗親総会監事長鄭長慶氏が鄭成功の子孫を代表して祝辞を述べられた。また、台南市長の名代として台南市政府文化局長葉澤山氏がスピーチ、中国南安市市長のメッセージを安平文化基金執行董事鄭道總氏が披露した。
次に、友好の証として記念品の交換が行われた。世界鄭氏宗親総会からは平戸鄭成功廟を飾る『浩気千秋』の額が、台北鄭氏宗親会から100万円を超える寄付金が平戸市に寄贈された。
続いて、平戸市との親善交流への貢献を表彰し、世界鄭氏宗親総会の13名を代表して監事長鄭長慶氏に平戸市長から感謝状が贈呈された。同じく台南市文化協会理事長高國英氏と安平文化基金執行董事鄭道總氏も登壇し感謝状を贈呈された。
乾杯のあとは、鄭成功の遺徳を偲びつつ、和気藹々とした雰囲気の中で歓談が行われた。相撲の力士が餅をつく場面では台湾の少年が飛び入り参加で杵を振るい、平戸の少年少女が伝統芸能の「田平権現太鼓」を披露して訪問団を楽しませた。この夜は、所々で参加者同士の国際交流が深まる様子が見受けられた。
翌14日は、九州北部の天候は荒れ一部堤防が決壊するなど各地で大きな被害があったが、開催中平戸には雨は降らず、天候に恵まれた中で200人を超える参列者が集まり、鄭成功居宅跡で生誕祭が盛大に開催された。はじめに日本式の神事が執り行われ、台湾式の祭典が続いた。
主催者の平戸観光協会会長藤澤美好氏は「鄭成功が幼少期を過ごした聖地に来訪頂くことは、台湾と日本の国際交流にとって大変意義深い」と挨拶し、台湾からの訪問団と関係各位に感謝の意を表した。
次に来賓の祝辞として平戸市長黒田成彦氏は「鄭成功の生家を当時のままに平戸に再現する、今年秋に着工し来年春には落成させ地域振興の契機としたい」と述べ、平戸ならではのアプローチで鄭成功の遺徳を偲ぶ観光拠点の創出に意欲を見せた。
更に亜東関係協会秘書長黄明朗氏は「平戸は風光明媚と聞いていたが、百聞は一見にしかず、本当に素晴らしい観光都市であり台湾人はきっと好きになる」と述べた。また平戸の人々の人情に深く感銘を受けたといい、これは台湾と日本の国際交流に最も重要なポイントだと語った。
台南市長と市民を代表して台南市政府文化局長葉澤山氏は「台湾の諺に人の生き方は3歳までに決まるとある、鄭成功はこの平戸で国際貿易を身近に感じ海や世界に憧れを抱いたに違いない」と思いを語り、鄭成功を英雄に導くこととなった平戸精神に敬意を表した。
最後に鄭成功の子孫を代表して世界鄭氏宗親総会常務顧問鄭親池氏は日本語で「今回が記念すべき30回目の訪問団、毎年生誕祭を契機に交流が深まり嬉しい、母上様(田川マツ)に思いを馳せる」
と述べ、偉大な先祖を育てた母にも子孫の里帰りを報告した。
閉会後も、重要無形民族文化財に指定されている「じゃんがら」が奉納され、また地域の子供達による「和太鼓」の演奏には観客一同惜しみない拍手を送った。
鄭成功の尊いご縁により平戸に集まった人々は、これからも末永く親善交流を深めていくことだろう。
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