どこまでも続く原野、あたり一面に咲き乱れるコスモスの花。北海道の典型的な風景である大樹町は帯広市の南部に位置する。一方、町の中を高屏渓という川が流れ、日本時代に造られた鉄橋が残る台湾・高雄市大樹区。この「大樹」をキーワードに、双方の交流のきっかけ作りに奔走した人が東京都在住の田中大樹さんだ。
電鉄会社に勤務している田中さんは2002年から一年間、JNTO(日本政府観光局)の台北事務所に出向していた。台湾で仕事していた際に田中さんは偶然自分と同じ名前の「大樹」という場所を発見した。そして帰国後、北海道にも「大樹」という町があることを知り、親しみを感じた田中さんは家族旅行を兼ねて両地を訪問することを決めた。
こうして趣味が興じて2008年夏には、先に北海道の大樹町を訪れ、年末には高雄の大樹区(当時は大樹郷)を訪問。その時に高雄の大樹郷長の曽英志氏に北海道の大樹町を訪ねたことを告げた。そして、これも何かの「縁」だから「北海道の大樹町に大樹郷を紹介して交流するきっかけを作ってほしい」と頼まれた。大樹郷長との接点は、以前高雄に観光に行く旨を大樹郷宛にメールしたことがきっかけ。以降田中さんは、仕事の合間をぬっては高雄の大樹郷と北海道の大樹町を幾度となく行き来した。メールや手紙の翻訳は、台湾滞在中に北京語を習得していたことが役立った。
この活動がまさに双方の「架け橋」となり、2011年に北海道大樹町の副町長ら10人が高雄の大樹区を訪問するなど、本格的な交流のきっかけとなった。田中さんの努力の賜物でもある。田中さんも同行したこの訪問は、台湾側から熱い歓迎を受けた。その時の様子は台湾の一般紙2紙に取り上げるなど話題になった。そして、このほど高雄の大樹区長をはじめとする訪日団が結成され、今年の9月には北海道大樹町を訪問することが決定した。田中さんが橋渡し役となった双方の「交流」がいよいよ本格化する。
田中さんは「こうした交流をきっかけに、双方の大樹の観光促進やワーキングホリデー、セカンドライフなど更なる交流に結び付くことを期待している」とした。同じ地名と人名の不思議なめぐり合わせが日台の交流のきっかけとなった格好だ。