~自民党青年局長を経て日台のパイプをより太く~
1972年、日中国交回復によって日本と台湾は表面上は国交がなくなった。そのような状況で、当時与党だった自民党幹部による正式な台湾外交は難しくなった。自民党は対台湾窓口機関として自民党青年局※①(以後青年局)を指定、台湾側も中国青年反共救国団(現在は救国団)を設置して対応。国交断絶以降も毎年日本と台湾の相互訪問を実施しており、日台間の貴重なパイプ役を果たした。その青年局42代局長として2007年8月より3年2ヶ月勤め、日台の実質外交に貢献したのが井上信治衆議院議員(自民)である。
井上議員との台湾との付き合いは国会議員初当選の9年前より始まり、訪台回数はこれまで20回以上に達する。青年局長時代には2ヶ月に一回は台湾へ足を運んでいたほど。訪台する度に総統をはじめとする台湾の立法委員(国会議員)とも会談し、馬英九総統や王金平立法院長とは旧知の仲。だが、「局長時代は台湾に配慮して中国には行かないようにしていた。しかし、台・中が経済協力枠組み協定(ECFA)を締結する等融和が進む中、今後は親台派、親中派という区別はつけない方向にもっていかなければならない」と述べた。現在は、井上議員は局長としての豊富な経験を生かして、青年局顧問として活躍。また、日華懇※②の主要メンバーでもある。
7月23日、井上議員ほか東京都議会議員など30人が海外視察研修と2011年の大震災に対する支援のお礼を兼ねて訪台。井上議員は到着日夜に開催された亜東協会(日本の交流協会に相当)が主催する歓迎式典に参加。他の訪台議員は3泊4日の日程だが、井上議員だけは1泊2日の強行スケジュール、翌日は小泉進次郎議員率いる青年局の研修視察と合流するために沖縄へと向かった。
井上議員は「今まで何度も訪台しているが、いつも短期日程で政府、立法機関が集中する台北だけ。いつか、一週間ぐらいゆっくりと時間をかけて台湾のあちこちを見て廻りたい」と語った。若くしながら青年局長を経て今は顧問として良きアドバイザー、そして自民党若手議員の兄貴分となっている井上議員。式典開始直前の慌しいなかでも気さくに取材に応じて下さり、国会議員でありながら決して気取らない姿が印象的だった。
※井上信治衆議院議員…1969年東京都出身。実家は眼科病院。開成中・高校、東京大学法学部卒業。国土交通省・外務省勤務後、英国留学、ケンブリッジ大学修士課程修了。2003年、衆議院議員総選挙で当選、国会議員となる。自民党所属(麻生派)。2007年より2010年まで自民党青年局長を務め、現在は顧問として後輩議員の指導に当たっている。自民党国会対策副委員長。
※①自由民主党青年局…若手議員(45歳以下)で構成される自民党の組織局。
青年局長は「若手政治家の登竜門」とも呼ばれ、歴代局長には竹下登氏、海部俊樹氏、安倍晋三氏、麻生太郎氏など台湾との関係が強い主要政治家が名を連ねている。現在の44代局長は小泉進次郎議員(小泉純一郎元首相の次男)。
※②日華懇…日華議員懇談会。台湾との関係強化を目的とした超党派の議員連盟。