~米留学時代から44年間夫を支え続けた内助の功、陳萬水女史~
親民党の宋楚瑜主席夫人、陳萬水女史が7月27日、大腸がんのため台北市内の和信癌センターで亡くなった。亨年72歳。夫人は2006年の台北市長選挙で宋主席が立候補した時期に大腸がんと診断され、6年間の闘病の末の死だった。
夫人は宋主席、息子の宋鎮遠氏、娘の宋鎮邁さんに最期を看取られて旅立った。
宋主席は1942年中国湖南省生出身。1974年に米国ジョージタウン大学で博士号取得、帰国後に蒋経国総統(当時)の英文秘書として政界入りをした。1989年に国民党中央委員会秘書長、1994年には台湾省長など要職を歴任した。2000年総統選挙では無所属で立候補、陳水扁元総統に僅票差で敗れた後、中国傾斜を主眼とする親民党を立ち上げた。優れた英語力を持ち、政治手腕にも定評があり、人情家でもある宋主席だが気性が激しく敵も味方も多かった。
その宋主席を44年間、陰で支え続たのが一つ年上の陳萬水女史だった。米国留学時代に知り合い、アルバイトや彼女までも紹介、甲斐甲斐しく宋主席の面倒を見た夫人にいつしか宋主席も恋心を抱き、留学中の1966年に結婚。婚後は経済的に苦しい留学生活のため、夫人は修士の学位を諦めて働いて夫を支えた。
陳萬水女史は笑顔を絶やさず気さくな人柄で反対陣営からも好かれていた。今年1月の総統選では痩せた病身で街頭に立ち、夫への支持を訴えた。宋主席は有望政治家だったものの、3回の総統選と市長選に失敗。夫人はその全ての選挙戦を全力で支えた内助の功だった。そんな妻に対して宋主席は公共の場であっても大きな愛情を示していた。自己のFACEBOOKにも「花水木」という歌で妻への愛情を表していた。
親民党によると、葬儀は内輪で行ったという。馬英九総統は、「宋主席の悲しみはよく分かる。だからそっとしておきたい。泰金生秘書長に個人的に追悼の意を伝えた」とした。
台湾政界の重鎮、宋楚瑜主席の今後の動きが注目される。
(写真提供:中央社)