日台スポーツ・文化推進協会松本彧彦理事長インタビュー

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日台スポーツ・文化推進協会松本彧彦理事長
日台スポーツ・文化推進協会松本彧彦理事長

八田家、関家のご遺族とともに馬英九総統を表敬

八田與一技師の手紙というものが日本にありましてそれを受け取った側(関毅技師)のご遺族が3.11の後、台湾から非常に手厚い支援を頂いたということで、73年間ご自宅にあった手紙を、家に置くより何か日台友好に活用していただけるなら贈呈したいという話が私のところに届いたわけです。

関毅技師は東京帝国大学土木工学科出身。八田與一技師のクラスメイトで生涯を通じての親友でした。その関毅技師は帝大を卒業した後、最終的には東亜建設工業(現存)の専務取締役になられています(社長は浅野財閥を築いた浅野総一郎氏)。実績として有名なのは、東京湾の埋立。今の京浜工業地帯の基盤づくりをされました。ところが1939年(昭和14年)に53歳の若さで突然、亡くなられたわけです。考えて見ますとその3年後に八田與一技師もお亡くなりになったわけでいずれも短命でした。

とにかく八田與一技師は、関毅技師の訃報を知り、1939年11月と12月の2度、ご遺族に手紙を書いています。内容は、とくにご夫人に対して弔意を表明したり、お孫さんが生まれて互いに良かったというような家族付き合いを想像させるものでした。

なかでも私が注目したのは、八田與一技師が、“浚渫”の権威だった関毅技師に、嘉南大圳(烏山頭ダム及び嘉南平野一帯に16000kmにわたって細かくはりめぐらされた水路を指す)の工事の際、浚渫について相談をしている下りがある点です。つまり、関毅技師も台湾と関係があったということですし、実際、関毅技師は台湾を何度も旅行して現地で八田與一技師と会っているんですね。

そんなわけで、とにかく2通の手紙が関家にあって、すでに他界されたご長男夫人である関由喜子さんとお孫さんの関尚子さんから相談を受けて、昨年の4月、台南の八田與一記念公園に台日友好の「絆の桜」植樹プロジェクトで桜を植えに森元総理と行った時と、その後、9月にもこの件で出かけました。烏山頭ダムを管理する嘉南農田水利会の方をよく存じ上げているんですが、現物を持参したところ、「ぜひ直筆の手紙が欲しい」と。資料をいろいろ収集しているが八田與一技師にまつわる本物がなかなかないというわけなんです。

その感触を関家にお伝えしますと「そういうことなら喜んで」と(快諾していただきました)。最初は私が台湾に行くときに持参しましょうという軽い話だったんですが、せっかくだから関家にも行っていただこうという話になりました。

八田與一技師の命日、5月8日には毎年、墓前祭が行われていて、今年は71回目です。八田家はいずれにしても行かれますから、じゃあ、世代を超えて両家をお引き合わせできるなら、両家も喜んでくださるだろうし、私も喜びとするところだと考えました。それで関家をお誘いしました。関家は前述のご長男夫人である関由喜子さんとお孫さんの関尚子さんに行って頂きました。

5月8日の午前9時から嘉南農田水利会の本部(八田與一記念館)で贈呈式をやりました。東亜建設工業関係者なども加わって総勢25人ほどが参加しました。その後、烏山頭ダムに移動して近くのホテルのレストランで会食をして、午後2時から墓前祭に参加しました。

樽井澄夫交流協会台北事務所代表、呉敦義中華民国副総統も見えられました。八田家は長男夫人綾子さん、孫の修一さんが参列しました。終了後台南に戻り、ホテルでの懇親会に参加させて頂きました。約300人ほどが集まりました。

ちなみに、馬英九総統は、総統に就任した2008年に墓前祭に参加し、八田記念公園建設を発表され、同公園は2011年の5月8日に完成し、オープニングセレモニーには、森元総理と私も行きました。この時、八田修一さんと馬英九総統が挨拶を交わす場面はあったんですが、総統府には行ったことがないということで、今回の5月9日、八田家、関家のご遺族とともに総統府を表敬訪問させていただきました。午前11時過ぎに総統にお目にかかりました。樽井澄夫交流協会台北事務所代表も驚いておられましたが、ご遺族とのお話は通常は15分ほどと聞いていますが、40分以上も時間を割いていただきました。

私についても気を遣っていただいて、よく調べられてこういうことをこれまでやって来られたといって、2004年より毎年台湾で「友好の桜」と題する植樹活動を推進していること、毎年代表団を伴い「台北国際マラソン」にも参加し、2012年には6名の日本人スイマーによる蘇澳までの「日台黒潮泳断チャレンジ」などの活動を行ったことなどをお話し頂いて大変、光栄なことでした。