林威助(阪神)を育てた名将、新天地で指揮

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末次秀樹監督(中央)
末次秀樹監督(中央)

台湾出身の日本プロ野球選手・林威助(阪神入団)を育て、これまで率いたチームは何度も甲子園に出場するなど名将として名高い末次秀樹監督が、新天地に場所を移し、指揮を執っている。末次監督は、福岡県の柳川高校で指揮を執っていた時代、留学生として来日し柳川高校に入学した台中市出身の林威助を育成。当時の柳川高校野球部には林以外にも、石智明、呉仁英、潘志強など台湾人留学生が在籍していた。「文化の違いをどう克服させるか。特に食文化の違いは大きかった。礼儀の面でも彼らには指導を行いました」末次監督は語る。

高校2年の林威助を中心バッターに据えたチームは、夏の福岡県予選の決勝まで勝ち上がる。惜しくも福岡工大付属に敗れ、甲子園行きは逃したが、末次監督の指導の下「福岡県にアジアの大砲・林威助あり!」と言わしめるほどだった。その後、林威助は、近畿大学を経て阪神タイガースへ入団。持ち前の長打力で熱狂的な阪神ファンを魅了している。一方、末次監督は、柳川高校で指揮を執った後、福岡県自由が丘高校の監督に就任。名采配でチームを初めて甲子園に導き、初戦で優勝候補筆頭の東海大相模を破るなど、手腕を振るった。日本の野球を志す台湾の若者にとって、「伝説の監督」という存在になっている末次監督・・・。今年から北九州市小倉北区の真颯館高校に招かれ監督として指導に当たっている。部員は10人、紅白戦すらできない状況だが、チームは夏の高校野球予選に向けて真剣に練習を行っている。

日本の高校野球甲子園大会と言えば、台湾にも熱狂的なファンが多い。かつての林威助も、台中時代、衛星放送で高校野球を観戦し、日本の野球に憧れたと言う。台湾の英雄・王貞治氏も台湾で少年野球大会を開催するなど、日台の野球交流の促進に余念がない。

現在も、末次監督と林威助の交流は続いており、林が福岡に遠征をする際には食事をしていると言う。台湾からの留学生であった当時の林威助の力を見出し、能力を開花させた指導力・・・、末次秀樹監督の新天地での指導に注目が集まる。