名付け親は故松村秋水氏
明治時代、丸松物産の前身会社が、台湾・嘉義県特産の乾燥タケノコである「筍干=スンガン」を上海、天津、マカオ、香港などに輸出。そんななか、大正時代に入り、前身会社の創設者が当時の横浜中華街に立ち寄った際、自社製品が中国を経由して輸入されていることを知り、その後、日本に直接、輸出するようになった。
筍干、つまりメンマは、昭和20年代の日本では支那竹(シナチク)=SHINACHIKUと呼ばれていたが、台湾政府より抗議を受け、前身会社から事業を受け継いだ丸松物産創業者の松村秋水氏(平成19年5月12日死去)は、「ラーメンの上に載せる麻竹だからメンマ(麺麻)にしようと考案、以来、「メンマ」の名が定着。
ちなみに、当初、メンマの産地は台湾だったが、昭和63~64年の8月~9月の麻竹の収穫期に、大型台風が2年連続で襲来、メンマの供給が大打撃を被る出来事が発生。原料不足に陥った教訓から生産拠点を台湾から中国に移す。この際にメンマの故郷である嘉義県と同じ北回帰線上に位置する中国広東省清遠市に着目したのが、創業者松村秋水氏の長男で現会長の松村金榮氏だった。
ゆくゆくは台湾産を50%にしたい
Q今、メンマは中国産と台湾産があるが
Aもともとメンマは100%台湾産でした。それが昭和後期に2年連続で大型台風が襲来し、減産に陥ったことからやむなく中国広東省清遠市に工場を移し、以来、25年間、一時は日本のメンマの98%が中国産になったこともあります。ただ、ここ4、5年前からすべて中国に依存するわけにいかないと、回復が進む嘉義県の竹林から輸入し始め、ゆくゆくは2~3%から10%ぐらいを台湾産にしたいと考えています。今後5年、10年後にはおそらく中国産と台湾産の比率は半々になるのではないかと考えています。
Q味はどうか
A味は台湾産のほうが全然素晴らしい。メンマというのは乳酸菌で発酵しますが、中国産は発酵が足りません。台湾の場合、2ヶ月間は発酵させます。しなやかさといい、風味といい台湾のメンマは素晴らしい。
Q台湾企業や華僑団体との交流は
A学生の頃は活動をしていましたが、ここ20年~30年は事業に集中していますから団体との関わりはないですね。ただ、成城ロータリークラブの会員として30年ぐらい、力を入れています。
Q最近の日本と台湾の関係
A日本と台湾はもともと友好的です。距離も近いし。両国は50年間、ひとつの国で一緒でした。台湾の人々はもっと親密です。台湾で地震があったときは日本の方々がすぐに救援にきてくれました。今回、東日本大震災では、台湾はすごく寄附してくれて応援もしてくれて感謝したい。そんなわけで、日本と台湾との友好関係は本当に素晴らしいと実感しました。