台湾プロ野球(中華職棒)で2年間活躍し、その後、メキシコ、韓国などでプレーを続けている野球・小林亮寛投手のトークイベントが、小林投手の出身地でもある福岡で開催された。日本プロ野球関係者も客席に姿を現すなど、注目の高さをうかがわせた。日本の千葉ロッテ在籍後、独立リーグなどでプレーした小林投手、日本では二軍在籍時にも十分な登板の機会に恵まれなかった。「『野球』そのものがランゲージだった。野球を通じて相手にコミュニケーションを取ることができ、気持ちも伝わった。気持ちが伝わると、向こうから「日本について教えてくれ」というコミュニケーションを取ってくるようになる」とアメリカ、カナダ、メキシコ時代を振り返った。また、台湾、韓国ではチームの主力投手として活躍。 「台湾でチャンスを与えられ、個人のことから『チーム』全体のことを考えられた。台湾で初めての『先発ローテーション』で、『コンディションを整え、役割を果たす』ということしか考えてなかった。台湾シリーズでも登板できたし、中込伸コーチの指導もあって、野球をすごく学んだ。相手バッターを観察すること、データの活かし方なども勉強し成長できた」
台湾・兄弟エレファンツの2年間で一躍注目を集めた小林投手。2008年、台湾1年目は、10勝6敗、防御率2.66の好成績で台湾プロ野球のゴールデングラブ賞を獲得。絶妙なコントロールと、打者心理の裏をかく配球、キレのあるボールで勝ち星を積み上げ、台湾の地で「伝説的助っ人」となった。「『これで失敗したら終わり』というトーナメント戦の気持ちで登板していた。アメリカに行ったのはメジャーリーグを目指したから、台湾に行った時は「縁」だった」…中でも台湾チャンピオンを決める「台湾シリーズ」は印象深いと言う。「最終戦、あと1勝すれば『東京ドームのアジアシリーズ』で投げることができていた。敗れて残念だったが、大きな経験をした」と振り返る。09年に9勝を挙げた小林投手だが、この年を最後に兄弟を退団。翌年からはメキシコ、昨年から韓国でプレーした。
何回も味わった「戦力外通告」…日本人はマイナスと捉えがちだが、小林投手は、むしろ違った考え方を持つ。「リリース(戦力外通告)はチームの事情によって起きるもの。自分を否定されているわけではない。むしろ『チャンス』だと捉えてきた。チャンスを貰ったんだからそれをどうするかは自分次第、諦めるも活かすも自分次第…」
小林投手の言葉からにじみ出る、前向きさ、冷静な分析力、野球に対する情熱….。トークイベントに訪れた聴衆からは大きな拍手と、小林投手に対する激励の言葉が贈られた。