大阪中華学校羅辰雄理事長インタビュー

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大阪中華学校羅辰雄理事長
大阪中華学校羅辰雄理事長

戦後立ち上げた会社、豚まんの“蓬莱”の二代目社長にして、昨年、大阪中華学校理事長に就任し、飛躍に向けて尽力する羅辰雄理事長に現在の思いを聞いた。

Q台湾との関わりは。

A父が台湾の嘉義の出身です。9人兄弟の8番目で、日本で商売をしたいと昭和16年に船で岡山港に上陸しました。初めて食べたのが桃で、それがわすられない味となり、以来、台湾土産は岡山の桃でした(笑)。父は神戸の華僑居住地から工場に勤めに出ていましたが、終戦と同時に大阪に居を移し、仲間と組んで、あらかじめ考えていた“蓬莱”という名の飲食店を始めました。当時は食べ物がなく、食材が入れば何でもよく売れたと言います。昭和21年に知り合いの提案もあり始めたのが豚まんです。これが大阪のお客さんにすごく受けました。私が生れたのは翌昭和22年のことです。

Q蓬莱の社長になったが。

A蓬莱は、当初、料理担当、財務担当、マネジメント担当(羅家)と3人の共同経営という形で始まりました。昭和37年の暮れに店が火事になったのを機に、会社は3つに分かれました。うちが株式会社蓬莱(現在551蓬莱)、他は蓬莱本館、蓬莱別館(現在ビル事業に転換)です。今でも後継者同士情報交換を行っています。東京の大学に進学することについて父は反対でしたが、春、夏、冬休みに会社の様々なセクションでアルバイトしながら勉強することを条件に許してもらいました。卒業後、すぐに副社長として会社に入りました。父とは衝突ばかりしていましたね。社長になったのは39歳の時ですが、名前だけ。社員が私を見ていません。皆、父のほうに行く(笑)。辛かったのは社員の信頼をもらえなかったことです。

Q世代交代については。

A私に限らず二代目社長は皆同じでしょう。時代背景が違うから親を追い越そうとすると大変ですし、できません。それである時、父を越さないといかんという発想はしんどいだけ。父が敷いたレールを間違いなしに走るのが一番と思い至りました。現在、67歳。息子は今35歳で副社長として頑張ってくれています。老害にならないようにサポートする形は何か、いつ、どういうタイミングでバトンを渡すのがいいか、考えています。

Q大阪中華学校の理事長に就任したが。

A私は父の方針で中華学校に行きませんでしたから、最初、大阪中華総会の洪勝信会長から理事長就任を進められても断っていました。ですが、「大阪中華学校は、自分たちの次の世代が日本と友好的な関係を作っていくための大事な教育機関でもあるし、自分は卒業生じゃないとかそういう発想をしないで考えなおして欲しい」と説得されて、自分なりに父の残した資料を読んだりして勉強していくうちに、大阪中華学校がここまでこれたのも大勢の台湾人の応援の賜物であることが分かってきました。それで校長先生や先生方のお話も聞いて「学校のことはよく分かりませんが、一緒に頑張っていきたい」と昨年春に理事長をお受けした次第です。

Q課題はあるか。

A幼稚園から中学校3年生まで280人を超える生徒さんがいます。うち、2割は純粋な日本人です。9年間に中国語、英語が勉強できることが魅力のようです。ですから大阪中華学校は、台湾人のためといった意味合いだけではないですし、優秀な生徒が小学6年で中高一貫校行ってしまう現実もあります。進学率を上げることも必要でしょう。また、土曜日も補講をやっていただいている先生たちのこともちゃんと考えていかないといけません。今は時間があれば週に1回は学校に顔を出しています。ちょっと気になっているのが校庭が狭いことでしょうか。休み時間に思い切って体を動かせるようにしてあげたいですね。

●プロフィール

羅辰雄(らたつお) 昭和22年大阪生まれ。昭和46年、大学卒業と同時に父親が経営する株式会社蓬莱に副社長として入る。昭和61年、39歳の時に社長に就任。平成25年大阪中華学校理事長就任。

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