日台商工交流会廣川啓智会長インタビュー

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日台商工交流会廣川啓智会長
日台商工交流会廣川啓智会長

台湾の貧困層に向けて毛布や紙オムツなどの支援を続ける日台商工交流会廣川啓智会長にこれまでの軌跡を聞いた。

Qデザインで成功したが。

A私は台湾芸術大学を卒業後、昭和48年、日本の大阪芸術大学に留学し、学生時代はグラフィックデザインやパッケージデザインを勉強しました。卒業後、起業し、最初はロゴやCI、包装紙、袋などのデザインを手がけましたが、仕事が限られていましたのでインテリア関係に手を伸ばして勉強しました。飛躍のきっかけは、石油ショックの後、三越が香港に進出した際、現地の壁紙サイズが日本のサイズと異なることが分かったものの、日本と中国のデザイナー同士の言葉の壁からコミュニケーションが取りずらく、タイル、壁紙、カーペットなどの資材の調達を二カ国語を話せた私に一任されたことです。これがヒントになりデザイン会社としての事業が展望できるようになりました。

Q主なビジネスの内容は。

A例えば、台北に事務所(ユニオンアートジャパン)を構えて、総合デパートの仕事を受注したり、北京の大手デパートの内装を一括受注し、JCD(社団法人日本商環境設計家協会)のデザイナー50人のチームで対応したり、現在は、厦門と上海に会社(工場)を作ってそこからハイクォリティのセラミックタイルを毎日コンテナ1本ペースで輸入しています。毎日コンテナ一本ペースで輸入し、大手ハウスメーカーに販売しております。

Q華僑団体との関わりは。

A15年前、日本関西台商協会を設立し副会長を引き受け、2年後、会長に就任し、東大阪、尼崎、八尾、堺市に出かけて台湾企業に交流を働きかけました。印象深いのは1999年の921地震です。会長の時でテレビで被害の様子を見て涙が止まらず、何とかしないとと考え、阪神淡路大震災時の時に作ったプレハブ住宅の残りをJCDの協力を得て台湾に贈りました。また、取引がある毛布の産地、泉大津市の日本人の業者の皆さんの協力で日本製毛布を贈りました。工場での袋詰め作業を見て、本当に助け合えるのは素晴らしいと思いました。

Q台湾の交通遺児や貧困家庭に援助をしているが。

A阪神淡路大震災時に知り合った台湾・立法委員に頼まれて、2007年、世界台商会聯合総会会長だった時に、ベトナムや南アフリカからの要望に応じて個人として日本製毛布を台湾の警察関連協会を通じて、判明した交通遺児や貧困家庭に対して寄付を始めました。ただ、私が役を降りて以降、中止となってしまったので困ったなと。それでここ数年、日台商工交流会を立ち上げて、台湾の賴士葆立法委員の紹介による財団法人草根影響力文教基金会からの寄付の要望に応える形で日本製毛布を寄贈しています。このことは台湾政府からも認められています。売名行為と見られるのは嫌ですが、今回、台湾新聞で紹介されることで日本の華僑団体の方々の協力をいただけたらと思っています。

ユニオン谷町ビル
ユニオン谷町ビル(デザインセンター予定)

Q課題は。

A日本に来て40年、台湾と日本の架け橋として何をしていくか。やはり、日本でデザイン関係の業種で成功している人は少ないですから、今までの経験を若い人に伝えたいと思います。これは僕しかできないことです。また、関西のデザイナーを集約することで情報発信源になり、台湾、中国、東南アジアへの輸出に際してはお手伝いをさせていただければ嬉しいですね。最後に、昨年、新たに自社ビルを買いまして、2014年5月に大阪市中央区の谷町4丁目に新しくデザインセンターを設立します。この一角を提供したいと思います。会議などで華僑団体の方々に使ってもらえれば。もちろん、無償です。

●廣川(黄)啓智氏プロフィール

台北市生まれ。40年前大阪芸術大学に留学。卒業後、日本で起業。その後、事業に成功し、現在、日台商工交流会会長、日本聯合設計株式会社社長、僑務委員会僑務顧問などを歴任。1999年、台湾中部大地震では、日本関西台商協会会長だった同氏は毛布や援助物資、募金を呼び掛け、また、阪神淡路大震災(1995年)で余った仮設住宅を台湾に寄贈した。2007年、世界台商会会長だった同氏はベトナムと南アフリカからの要望に応じて個人として日本製毛布を寄贈。その後、台湾の交通遺児や貧困家庭に対しても日本製毛布を寄贈している。

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