熊本地震の「本震」とされた4月16日(土)から僅か4日後の20日(水)、台湾から大量の支援物資が被害の大きかった益城町に届き、被災者を大いに勇気づけた。
これを届けたのは、福岡市の台湾寺院「臨済宗日本佛光山・福岡佛光山寺」の満淨法師をはじめとする僧侶と信者たち15人で、4トン積と2トン積のトラック2台とワゴン車2台の計4台で、一部に損壊した道路を避け、渋滞に耐えながら通常2時間で到着する行程を5時間かけて現地にたどり着いた。
物資の中身は事前に益城町役場と入念に打ち合わせて台湾佛光山と國際佛光會(BLIA)で調達したもので、海外からのまとまった支援物資としては、おそらくこれが最初のものだったと思われる。
実は福岡佛光山寺では最初の地震(前震)があった14日(木)のニュースを聞いた後、すぐに被災者支援を決め、益城町役場に電話を入れた。混乱のため最初は繋がらなかった電話が何度目かにやっとつながり、必要なものを聞き取りながら支援物資リストを作成した。
被災地の要請に沿った支援物資を購入して16日(土)の朝7時に福岡を出発しようとしたところ、その日の未明に更に大きい地震(本震)が発生したため、身動きが取れないまま待機せざるを得なくなったが、その間も國際佛光會福岡協会の吉沢浩毅会長など10数人が物資を追加購入して箱詰め・積込みをするなど、準備を怠らなかった。
17日(日)になって「現地入りが可能」との連絡を受けたため、覚岸法師と青年女子の龔培鋅さん、遅美娜さんの3人が物資を積んで待機していた1.5トン積のトラックに乗り込み、6時間かけて先ず益城町役場に、次いで八代市の宗覚寺に届けた。かなり離れている2ヶ所を回ったため、午後2時に出発し、翌日未明の2時半過ぎに帰着するという強行軍であったが、これが第1回目の物資送達となった。
このとき、思った以上に厳しい状況を目の当たりにした覚岸法師が更に突っ込んでニーズを聞いたところ、益城町10カ所の避難所の物資を管轄する吉本秀一氏から佛光山と國際佛光會の迅速な支援への感謝の言葉とともに、さらに毛布5000枚、懐中電灯5000個、テント1000個、子どもと高齢者用のオムツ、粉ミルク、水、食料などの追加支援の要請を受けた。
これに応えて台湾佛光山と國際佛光會は、18日(月)に追加物資の調達と輸送を決めた。それらが中華航空(チャイナエアライン)で福岡空港に届いたのが冒頭の様子である。
通常、台湾から日本へ送られた荷物を受け取るには、輸送と通関を合わせて2日間かかる。これを少しでも縮めたい。中華航空の黄 世惠・福岡支店長は20日(水)の朝6時に台湾で積み込んだ物資を当日の午後2時に福岡で受け取るという離れ業をやってのけた。また輸送費と通関費を全額同社が負担してくれたこともすべてをスムースに進める大きい力になった。
おかげで午後2時に空港で受取った物資は待機していた25人信者の手で直ちにトラックに積み込まれ、5時間後には台湾の真心を添えて益城町に届けることが出来た。
支援の要請から物資が届くまでの過程は、まさに時間との戦いであり、大勢の関係者の真心のリレーでもあった。これが第2回目の物資送達となった。
第3回目は 九州台湾商工會(頼 玉汝 会長)の14人と中華料理店のオーナーシェフら3人が合流して、1,000人分の暖かい食事の炊き出しとともに追加物資を届けるべく21日(木)の早朝5時30分に福岡を出発したが、大雨による土砂災害警報が出されたため、道半ばにして引き返さざるを得なかった。被災地に迷惑をかけず、ボランティアメンバーの安全も考慮した上の苦渋の決断であった。
第2回目以降の活動の指揮を執った福岡佛光山寺の満淨法師は、釈尊の教えの中の「布施の心」の重要性を説く。今回のような支援活動をはじめ、人の役に立とうとする行動は、自分、相手、お金、物資、道具、時間などの要素に加えて、これらをダイナミックに結ぶ「縁」があってはじめて実現できる。この「縁」を大事にしなければならない。
熊本の人々にはまだまだ支援が必要だ。これから支援活動をしようとする人は、我々の活動に合流しても良いし、自分たちでやるのもいい。
どんなやり方をするにしても関係する人や物資や時間を結ぶ「縁」があり、それを上手に生かすことで、相手も救われ、自分の心も満たされると。
そして、これから熊本地震のボランティア活動に参加したいという人に対しては、「現地の要望をよく聞くこと、支援のための方法、時間、内容などについてのルールを守ること、そして何よりも被災者自身、避難所を管理運営している人、捜索や救援に当たっている人達の迷惑にならないことが大事」とアドバイスをして話を締めくくった。