先の大戦で亡くなった台湾の若者の霊を慰めるために平成11年から毎年台湾を訪問している日華(台)親善友好慰霊訪問団(小菅亥三郎団長)は、21日福岡市内で昨年11月に実施した第18次訪問団の報告会を行った。
報告会には同訪問団の参加者を含めて日台交流関係者60人が集い、黙祷をささげて戦没者の霊を慰めるとともに、日本と台湾の過去、現在、未来についての想いを語り合った。
黙祷の後「蔡英文新政権をめぐる日台関係」と題する基調講演を行った台北駐福岡経済文化辦事處(戎義俊處長)は、講演の本題に入る前に日本と台湾をめぐる最近の3つの動きを述べた。
その第一は、昨年台湾外交部(外務省)が行った世論調査によれば、台湾国民が行きたい海外旅行先の1位が日本であり、また好感度を持つ国として7割以上の人々が日本を挙げていること。第二は、これらを反映して台湾と日本の観光往来が昨年初めて600万人に達したこと。第三は、1972年の断交以来「財団法人交流協会」という名前を使っていた日本の台湾駐在機関(大使館に相当)が今年1月4日に「日本台湾交流協会」と名称変更したことである。
日本との観光往来については、正式な国交を持つ国との間でも600万人に達するところは無いし、台湾の人口2,300万人に占める比率から考えても、両国のつながりの深さを示し、世界一良好な関係にあることの証左であると考えられる。また、台湾駐在機関の名称に「日本」と「台湾」双方の文字が入ったことは、単なる改名を超えた画期的な意味があり、今後は台湾と国交のない国々との間でもお互いの国名を呼ぶようになるなどの好影響をもたらすものと確信すると述べた。
一方、蔡英文新政権誕生以来「一つの中国」の受け入れを迫る中国の台湾に対する圧力は非常に厳しく、数少ない台湾承認国であった西アフリカの島国サントメ・プリンシペとの断交への間接的関与、ナイジェリアの台湾代表處の首都からの追い出し、様々な国際機関への台湾の出席妨害など、台湾を外交的孤立へと追い込んでいる。
また、貿易や観光で中国に依存する台湾に経済的な圧力をかけ、台湾経済にダメージを与えていることもあって、蔡英文政権の支持率は昨年5月就任時の70%から現在は27%まで下がっている。このような厳しい試練の中で蔡英文氏が「台湾人の真の総統」になれるかどうかは4年後の総統選に再選できるかどうかにかかっているが、太陽花運動(ひまわり運動)などを通じて若者中心に醸成された台湾人のアイデンティティはもはや打ち消すことが出来ないこと。これまで日台をつないできた台湾の「日本語教育世代」と日本の「湾生(生まれ育った台湾から戦後日本に引き揚げてきた人々)」が積み上げ繋いできた交流を若い世代に引き継いでいくべく日本の高校生の修学旅行を推進し、相互理解の成果を上げていること。しかし、そうであっても中国との結びつきが強い台湾は政治的にも地理的にも歴史的にも「日中の狭間」に身を置く存在であり、台湾の人たちは常に「日本と中国」を意識しながら生きていく運命にあること。これは台湾にとっての宿命であるとともに日中にとっての宿命でもあることを述べた。
このような難しい情勢の中で蔡英文政権は対外政策の柱に「新南向政策」を掲げ、中国に依存せず、ASEAN・東南アジア諸国・南アジア・オーストラリア・ニュージーランド等とのWinWinの関係を築こうとしているが、日本の皆様には是非この政策へのサポートをお願いしたい。知恵と力を貸してほしいと述べて講演を締めくくった。
次いで訪問団の団長として挨拶に立った小菅亥三郎氏は、最初に50人という多くの方々の参加を頂いた今回の訪問が、慰霊の目的を果たして1人の脱落者もなく無事に帰ってこられたことに対して団員の協力を感謝し、関係者の労をねぎらった。
次いで、戎處長が基調講演で発信したメッセージを、ここに集まった方がそれぞれの立場、与えられた領域、権限の範囲で具現化してもらいたいと要請した。
また、慰霊訪問のきっかけとなった台湾への社員旅行で受けた啓示的な衝撃と、それを衝撃と感じさせたその前の中国、韓国への旅行について振り返り、順々と説明した。その中で、日本人として育てられ、日本のために戦場に赴いて亡くなり、今は別の国籍になってしまった33,000余の人々に思いをはせ、心を寄せ、その方々を忘却のかなたに追いやってしまわないことが本当の供養であり、我々の使命であると述べた。
そして最後に、台湾と中国は経済的な結びつきも強く、我々が距離を推し量ることも難しいが、それぞれの立場で台湾を応援する意思表示をしようと締めくくった。