台湾南部・台南市の烏山頭ダムで5月8日、日本統治時代の日本人技師・八田與一氏(1886~1942)の命日に合わせて没後75年の慰霊祭が行われた。今年の4月中旬に発覚した八田氏の銅像頭部が切断されるという事件を乗り越え、例年を大きく上回る約700人の関係者らが出席した。日本側は八田氏の親族や出身地・金沢市の山野之義市長、対台湾窓口機関・日本台湾交流協会台北事務所の沼田幹男代表らが、台湾側は台南市の頼清徳市長、行政院農業委員会の林聡賢主任委員らが参列した。例年は自由に参列できたが、同事件を受け、今年は式典を円滑に執り行うため、関係者のみの参列とされた。
頼市長は式典で「像を破壊した者のたくらみは成功せず、日本と台湾の友情は以前よりも強まった」と日台の絆の強さを強調した。また、頼市長は事件後、日本語で日本各地の議員ら関係者に慰問の手紙を送るなど、配慮をみせる姿もあった。
参列した八田氏の孫・八田修一さんは「(切断された写真を見たときは)言葉が出ず、とても寂しかったが、こんな短期間に修復してもらい感謝している。このダムのように、日台の友好関係が続くことを期待している」と語った。
一方、同日、警察官が警備するダムの入り口付近では、日本の植民地統治を批判する親中国派とそれに反発する人々が集まって、お互いを批判し睨み合う場面もあった。
前日には除幕式も
八田氏銅像頭部が切断されている事が発覚してからすぐに取り掛かられた銅像修復が完了し、慰霊祭前日の5月7日、八田氏銅像の前にて除幕式が行われた。同式には台南市の頼清徳市長をはじめ、八田氏の親族や金沢市の山野之義市長など、日本と台湾から多くの関係者が詰め掛けた。
台湾メディアによると、頭部本来の銅像頭部は未だに見つからず、修復は嘉南農田水利会や奇美博物館などの協力を得て、同博物館に保管されていた複製を利用し、4月26日には修復が完了していたという。だが、銅像が再度襲撃されるのを懸念した関係者は、修復に関する情報公開を控えていた。
台南市の頼清徳市長は「像を守ることができず大変残念だ」と遺族らに謝罪したほか、、八田の孫・八田修一さんは短期間での修復に感謝し、「全く違和感がない」と完成を喜んだという。
八田氏銅像頭部切断の元議員、送検
八田氏は日本統治時代1920年から10年間、干ばつが頻発した中南部、嘉南平野の水利事業に尽力し、1930年に約1万6千キロの用水路と当時アジア最大の烏山頭ダムを完成させた。嘉南平野を台湾最大の穀倉地帯へと変え、農業発展の基礎を築いた人物として台湾の教科書でも紹介されており、尊敬されている日本人の一人だ。
銅像頭部切断事件は、反日的な中台統一派の政治団体に所属する男女が日台友好の象徴である八田氏の銅像を狙って4月中旬に実行。男はこれまでにも暴力行為を繰り返していた元台北市議会議員。実行後、自身のフェイスブックで同事件の犯人が自身である事を発表し、その後も実行当時の様子や同事件に対するコメントを堂々と投稿していた。地元警察は5月11日、男女2人を器物損壊の容疑で送検した。
(2017/05/17)