仏教における生死の自由、生と死を自由に操るというのはこれまでは伝説であった。しかし2018年9月、私はこの目で見たのである!!
釈迦牟尼仏の仏教は世界で2千年以上も伝播継承され、分派し、各宗派の宗風が確立されている。祖師や、高僧大徳たちは皆それぞれが、自分こそが最終的に解脱を成就するに最良の教え方を持っていると説く。しかし、その結果はどうであろうか?史上、実際の解脱においては、真の解脱をした人は極めて少なく、仏法の修行をしながらも成就を得ない者が数多くいることは、事実が証明している。達磨、慧能、憨山や、近代では虚雲、慧明、聖欽ら長老、またパドマサンバヴァ師、ツォンカパ大師、カルマパ大師、アティーシャ尊者、スチャンドラ尊者らが赫々たる成就を得ていた。しかしこのような成就を得た聖徳は極めて稀であり、末法の時代はさらに深く浸透しているこの百年、真の如来正法の伝承はほとんどが失われてしまっている。現代における著名な高僧大徳と呼ばれる人物でも、その命が尽きる時には苦しみ、生死からは全く解脱することができていないのに、生死の自由など語れるはずがない。
南無頂聖如来ドルジェチャン仏第三世は、如来大法を人々にもたらし、釈迦牟尼仏の教える法の根本を回復した。仏の慧命を継ぎ、さらなる成就への近道となる仏教の教えを深めている。例えば『解脱大手印』や「勝義内密境行法」の灌頂は、比するに値するものがない修行法であり、法の迅速かつ最高の成果であることからすれば、彼は史上かつてない聖者であり、これは語り尽くせないばかりか、終わりも無いのである。南無頂聖如来ドルジェチャン仏第三世の五明が最高峰にして、仏陀の聖量そのものであることが、確かに、事実として導かれそこに存在することを誰もが知っていた。しかし、筆者が誰にも考えて貰いたいのは、このドルジェチャン仏の成就は釈迦牟尼仏と同じように仏陀自身の成就であって、私たち自身とは全く関係がない。真に私たちと密接な関係があるのは、人に成就する方法を教えられなくてはならないということである。これこそが最も重要なことである。このことを実際に考察すると、確かにドルジェチャンが教え導いた大成就者は歴代明確に存在する。例えば悟明長老、意昭長老、因海聖尊,また候欲善聖徳、林劉恵秀聖徳、趙玉勝聖徳らは、実践の中でドルジェチャン仏が教示した人々が名高い成就を得たことの証明である。
ドルジェチャン仏の弟子である世界仏教総本部主席の禄東贊•慈仁嘉措(ルードンザン・ツーゼンジァーツォー)法王は、さらに生と死を自由に扱う驚きの記録を明らかにしている。
禄東贊(ルードンザン)法王は生涯、多くの仏教の著名人に学んできたが、1995年にドルジェチャン仏第三世を師として以来、貴重な至宝に巡り会ったかのようであった。漢人唯一のラランバコシである洛桑珍珠格西は、記者からの質問に対し、自分は仏法を六十年学んできたが、ドルジェチャン仏第三世に学んだ1日には及ばないと答えている。何という概念なのか!禄東贊法王はドルジェチャン仏が伝える行と法を学んだ後、それまでに学んだあらゆる効果の無い仏法を放棄し、ドルジェチャン仏が伝える深みのある仏法のみを修めたところ、その証量は急成長し、福慧は円満となって2004年には大力王金剛の力を示すに到った。勝義浴仏法会では人々の目の前で浴仏蓮池の水1.8トン以上を持ち上げ、2009年には人々の目の前で仏法を修めて、体から神識が出て金剛丸取り戻した。最後に明心見性※をして、法身を証し、銀製箱の法音をこの世に残し広めたのである。
2015年、台湾覚行寺建立準備委員会は禄東贊法王を覚行寺の方丈に招来したが、7月16日、禄東贊法王は覚行寺建立準備委員会に宛てた手紙の中で、因縁が無いことにより覚行寺の方丈を務めることはできないと伝えている(『聖徳高僧たちの重要な返答-第18道の回答』を参照)。
2017年、依固聖徳の『私が保証する功徳と罪業、仏の甘露』の文章の中で禄東贊法王の話を引用して、広く修行者に彼らが古佛寺の建立を待つことはできないと伝えている。「……私、禄東贊•慈仁嘉措は、古佛寺の方丈を務める資格は全く無いのです……古佛寺の監院も不適格なのです。さらに私にはもうすでに古佛寺を礼拝する因縁も無いのです。……私は生死を掌握していますが、浄土に行って再び人間の世に戻って来られるかということになると自信がありません。ドルジェチャン仏が私を呼び戻してくださるなら別ですが、阿弥陀仏が私を人間の世に返し、ドルジェチャン仏を礼拝することをお許しになるかどうかは分かりません。」このように自信をもって生死を予知できることは、一体どれくらいの大法であれば得られる成就なのだろうか!
世界仏教総本部は2018年の第20180102号の質問への回答で「本日総本部の2名の理事が、ある人が、法王はいつ頃円寂されるのかを示してくださいと法王にお尋ねしているとお伺いしたところ、禄東贊法王は、ドルジェチャン仏第三世の本尊法を修めて生死の自由を成就しており、できるだけ早く最後の法を修めた後、円寂を決める書を書いたら円寂する。時を遅らせることは無い。と仰いました。」と述べた。聖徳班の聖徳たちがこれを聞き、すぐに観照したところ、禄東贊法王はすでに円満に三段金釦の上尊の位の境地に達していることがわかった!
法王がこのように断言できるのはなぜなのか。今この世界で、このように生死を自由にできる仏法はどこで見つけられるのか。百年来、このように世界を震撼させる仏法は生まれていなかったのだ。法王は最後の法を修めたことを待って円寂すると仰っていたが、待たなくてはならないのはいったいどんな法なのだろうか。また法王はどんな決定の書を残すのか。いずれにせよ、法会の時間を待つほか無く、それが空虚な言葉かそれとも真実の大法なのかを、我々は刮目して待とう。
2018年9月、禄東贊法王は仏陀恩師南無ドルジェチャン仏第三世に勝義護摩壇大供を祈り求めました。法王は「この最高最大の如来正法を用いて、社会で宗派の伝承を受け継ぐ者が凡夫であるか聖者であるか、正法の伝承を失った仏教の外道であるのかどうかを証明する。邪悪な見識を持つ者たちは、インターネットのコミュニティでドルジェチャン仏第三世恩師の行と法を大きく破壊し誹謗している。私たちが破邪顕正を行うには、このようにするしかない!」と述べた。
ドルジェチャン仏第三世は「それは間違いだ。自分のために他人を苦しめてはならない。私はこの法を修めることはできない。仮に修めようとしても儀軌に従って念誦することしかできない。」と仰った。禄東贊法王はまた「仏陀恩師がご自分を証すために修めるのではなく、如来正法のために、全ての西方世界の衆生の息災と幸福のために、そしてこの弟子である禄東贊が願う正法と資糧の円満のためにも、修めていただきたいのだ!」と述べ。ドルジェチャン仏第三世は「すべての西方の正法大事の因縁のため、衆生を利して幸福を祈るためなのであれば、安心しなさい。この法会を修めるべきであり、私が修めなくても、巨聖徳が修めてくれるよ。」と仰った。
9月17日、金属製造の専門家チームが急いで黄銅の壇炉を製作した。9月18日、禄東贊法王のもとにいる宣慧姉弟子が護摩火供に供する壇香木と木炭を送ってきた。9月19日、「勝義火供大法会」が米国聖蹟寺で正式に挙行された。「勝義火供法」は障を除き、福を増す法の最たるものである。80年前にチベットのパボンカ大師と康薩リンポチェしか成し修めて成功していない。その後の漢民族地域とチベット地域の両方の地における、いわゆる護摩供養法は、すべて書物と口伝による勝義の修法であって、実際に聖境を現すことがなく、儀軌の念誦と、世相の顕教の修法でしかなかったのである。しかし9月19日に米国の聖蹟寺で行われた巨聖徳による勝義火供大法会では金剛仏母が自ら虚空に現れ、青色の全身から光を放ち、その背丈は巨大であった。インターネットには、ある人は金剛仏母が虚空で指を弾くと一筋の閃光が走り、壇炉が燃えだしたと書いていた。私は何人もの人に取材したが、彼らが見たものはそれぞれ異なり、巨大で荘厳無比の青い金剛仏母が虚空に現れ、その体が動き変化すると、体の回りを電光の網の輪が回転しながら取り囲み、護摩衛士が祈祷を終えると金剛仏母の眉間から突然一筋の閃光が壇炉に放たれ、その瞬間に大きな炎が燃え上がった!その時、壇炉には臨時に投げ込まれた五本の護摩木しか無かったのに、どうして瞬間的に大きな炎が燃え上がったのだろうか。その後、金剛伏魔鉢に捕らえられた妖魔が、もがいて伏魔鉢を揺らして開き、逃れようとして振動させたその瞬間、金剛仏母の眉間から再び一筋の炎の光が伏魔鉢に向けて放たれた。「ボン」という音だけが聞こえ、伏魔鉢から炎が上がり、妖魔と修行者の黒業は瞬時に粉々となった。金剛仏母は妖魔の魂を浄土に送り教化したのだ!法会の会場にいた100人近い修行者たちはこの上なく驚き、拝伏しての礼拝が止むことがなかった。
法会の場で、巨聖徳が修行者に対して「この法会ではすでに修め成された。法王禄東贊はすぐに円寂する」と宣言した。
やはり、禄東贊法王が言っていた、待たれている最後の法会とはこの法会のことであった。二日目、法王は沐浴して着替え、修法に入った。座禅しているその前に文台と筆墨、宣紙、修正液が並べられ、南無ドルジェチャン仏第三世への訣別書を書き終えると、その場に座ったまま円寂したのである。各寺の僧侶たちは知らせを聞いて急遽、続々と到着した。法王は最後に筆を置いたその瞬間に完全自在に悠然と円寂したのである。この時、人々は、禄東贊法王の訣別書が、衆生に、如来正法の在処が、南無ドルジェチャン仏第三世のもとにあることを明らかにするためのものであり、それは釈迦牟尼仏と同じく、宗派の別がなく仏教のみに属する仏法である。
以下、禄東贊法王の記した決別の書:
「訣別書
南無ドルジェチャン仏第三世恩師
弟子禄東贊慈仁嘉措は円寂することを決めました。
人生の歳月は苦しみに満ち、道を求め、仏法を学ぶことに奔走しました。廣欽師、宣化師、卡魯師など多くの師に従いました。頂果欽哲法王、サキャ派では仏道の成果が無く、苦しい修行も効果はありませんでした。仏陀師の恩に感謝します。無上の手印で解脱しました。密伝の聖法を灌頂していただき、私は生死の自由に達しました。今それが真実であることを証するため、ここに筆を置いてこの世を離れ、墨跡の乾かないうちに円寂いたします。南無ドルジェチャン仏第三世恩師!
弟子東贊がお別れを申し上げます。2018年9月20日」
禄東贊法王は生死が自由であった。予告した時に円寂したのである。
禄東贊法王は円寂の前に、自ら墨を磨り「訣別書」を書き、筆を置いたその瞬間に悠然と円寂したのである。 ※明心見性=仏教用語「心性の本源に徹見すること」