2020年2月9日、アメリカの聖蹟寺の本堂で、実際の修行の成果を計る法会ー『金剛杵を取り座に置く』試験が行われた。その目的は修行の成果が仏教修行者の身体の構造をどれほど変化させているかを調査することにあった。
法会で、今年88歳になる体重180ポンドほどしかない僧侶の開初教尊は、皆が注目する中、三本の指が骨折し変形した右手だけで重さ200ポンドものの金剛杵を持ち上げて台座に置いた。年齢と体重を基準に算定されたレベルからすれば16レベルをも超える聖なる力を披露し、アジア一の強者を圧倒して、人々を驚かせたのである。
(1)開初教尊のこの種の聖力と世界一の強者の力を比べると?
『世界ヘラクレス・コンテスト』でチャンピオンベルトを獲得した怪力の龍武氏が参加した2019年12月に西安での正式な『金剛杵を取り座に置く』テストでは、結果的には基準から10のレベルを超える成績はおさめたが、指は裂け出血をしていたことを、多くの人が目の当たりにした。世界の強者グランドマスターのチャンピオンベルトは手に入れたものの、開初教尊である初級聖者のレベルにも達してはいないことになる。
また、体重350ポンド、36歳の『アジア一の怪力』と呼ばれる呂瀟氏は、2014年11月に中国代表としてマレーシアのクアラルンプールで開催された『世界ヘラクレス・コンテスト』で、アジア一位となり、2017年の遼寧省の春晩で184トンの汽車を20メートルも引っ張った。しかし、2019年12月27日に、中国瀋陽で正式に『金剛杵を取り座に置く』に出場したところ、基準からは2レベル上のレベルにしか達しておらず、実力士となった。その力は、龍武と比べて10レベル以上の差があった上、開初教尊の聖力とは更に大きな差があったこととなる。
(2)『金剛杵を取り座に置く』とはどういったものなのか?なぜこのような力を測る法会が行われるのだろうか?毎日筋トレを行うプロの強者達が、なぜ修行と座禅をしているだけで、なんのトレーニングもしていない僧侶の力にかなわないのだろうか?
『金剛杵を取り座に置く』とは仏教界における仏法の真贋についてと、本物の聖者か否かを見極める測定法として知られている。
古くから、仏教界ではこの方法で直接修行者の修行の成果を測ってきた。計測を求められた修行者は、片手で金剛杵を持ち上げ、規定時間保持したままでいて、それから台座に置かなければならない。この測定方法は『金剛杵を取り座に置く』と呼ばれている。
聖人か一般人かはこの検査で一目瞭然となる。聖人と一般人は外見はともに人であるが、両者の身体とその内面は鳩と鷹のごとく全く異なっており、外見は同じ鳥であっても、内面の構造とその力は天と地ほどの差がある。それは自然に存在する差なのである。
プロの強者は毎日、何年も何十年も訓練し続けることで屈強な肉体を得ることができるが、本質が変わるわけではなく、一般人としての肉体機能が改変されることはない。しかし、真の仏法を修めた聖者はその聖なる身体の構造から聖なる力が発せられ、強者の身体や力を凌駕するのは当然であって、一般人の身体能力が及ぶものではない。そうでなければ、もはや、聖者とはいえないのである。
多くの事実が証明しているように、たとえ両手で500キロを持ち上げられる怪力の持ち主であっても、片手では300ポンドの『上座杵』を持ち上げることはできずに、『金剛杵を前にして、肩を落とす』だけとなる。
聖人と一般人に差があることがわかれば、なぜなんの運動もせず、武術も学ばず、トレーニングもせずに、ただ修行し、座禅して修法するだけの文人(聖なる僧である開初教尊)が、古傷のある片手で軽々と自身の基準から16レベルも越える重さの金剛杵を持ち上げまま、マントラを7回唱えて目標に到達できるのに、アジア一の強者である呂瀟が、この90歳にもなる開初教尊の能力を超えることができないのかを理解するのは、難しくない。それは聖人と一般人の身体機能に違いがあるからなのである。
『金剛杵を取り座に置く』の計測方法によれば、各人の年齢と体重によってそれぞれの到達基準が決められており、基準値に達すれば『康体士』と呼ばれる。
『康体士』からは上に30のレベルがあり、『康体士』からは下には5つのレベルがある。
規定上、初級の聖徳の場合、自身の基準値から12から19レベルを、中級の聖徳は20から25レベルを、大聖徳は26から29レベルを超えるものとされており、最高峰の30段越えが『金剛大力王』という巨聖徳とされる。
一般的には、常人で力の強い男でも2から3レベルを超えるのはかなり難しいとされている。国家レベルの強者では9レベルを超えられるとされ、世界的な強者であっても10レベルを超えられないであろう。
例えば、『世界ヘラクレス・コンテスト』を獲得し、チャンピオンベルトを手にした龍武は手の指から出血しながらもその成績はレベル10がせいぜいであった。しかし90歳という高齢の開初教尊は16レベル超えという成績を得たが、これは開初教尊が修行によって高いレベルを習得した聖者であって、非凡な肉体と体力を持っていることを証明しているのである。これが聖人と一般人の差なのである。
(3)南無ドルジェチャン仏第三世の比類無き聖力を目の当たりにした
2月9日の『金剛杵を取り座に置く』の法会で、参加した信者たちは運よくH.H.ドルジェチャン仏第三世の比類無き聖力を目の当たりにした。
その日、聖跡寺の本堂殿には、一本420ポンドの巨大な金剛杵があり、二日前に聖徳たちによってこの法会のために法台金階に運び上げられていた。特にこの『鎮殿金剛杵』を『金階に上げる』こと、或いは『聖座から離す』ことのどちらであっても、30レベル超という頂に到達する巨聖徳でなければ、動かすことはできない。これまで全世界の誰もが1ミリも動かせたことはなく、このレベルの重さになると常人の筋肉や骨は破裂し、人間の身体構造を壊してしまうほどなのである。
法義によれば、金階に上げられた『鎮殿金剛杵』を、そこから下ろせなければ、本堂での活動はなにも行うことが出来ない。当然のことだが、本堂での『台座の杵持上げ』試験は行えないし、金剛鈎を用いて杵を動かすことは、絶対にやってはならないことであり、律義を破ることになる。
どうしたらよいかと、だれもがお互いに顔を見合わせながらも、とても心配していた。力のある者たちは、この巨大な金剛杵を金の階段から下ろそうとした。しかし、みんながあらゆる力を使って、引っ張ったり持上げたりしようとしたが、だれも片手では少しもこの金剛杵を動かすことは出来なかった。『聖座から離す』ことなど言うまでも無いことだった。そのため、法会も始められなくなってしまったのである。
ちょうどその日、H.H.ドルジェチャン仏第三世が招待されており、法会にご臨席していた。そこで皆がドルジェチャン仏第三世にこの難問を解決するようにお願いした。
南無羌佛は、「私は本来、あなたたちのこのような試験には賛成できない。長い時間かけて試験をしたが、結局一般人ばっかりであって、初級聖者がいったい何人存在しただろうか?聖者でなければ、10以上のレベル超えは不可能だ!いったい誰がこの金剛杵を金階に置いたのだ?その方に下ろしてもらいなさい。」
法師達は、或る聖僧がこれを持上げた、と言った。南無羌佛は、「ふさげるんじゃない。わざと困らせるようなものじゃないか?今日、試験を行うことがわかっているのに、わざと難題を設けるなんて!その方に下ろしてもらえばよいだろう!」。すると法師は、聖僧は昨日のうちにほかの州に弘法に行ってしまったのです、と言った。
しかたなく、羌佛は法台に上がり、「私は、あなた方の活動に参加するために来たのではなく、ただ手伝うだけですよ。試しはするが、杵を下ろせるかどうかはわかりませんよ。」と言った。
言い終えた後、南無羌佛は『鎮殿金剛杵』の前に行き、片手で420ポンドの『鎮殿金剛杵」を掴み、法義に定められた7秒間を越え、13秒間持ち上げ続け、法義に従って金の階段から下ろしたのである。
その瞬間、弟子達は、体重300ポンドの世界一の強者でさえ1ミリたりとも動かせなかった420ポンドの『鎮殿金剛杵』を、体重100ポンドほどのH.H.ドルジェチャン仏第三世が、片手で持ち上げたことに、驚愕した。もしこのレベルを測定するなら、56のレベルを越えるはずであり、世界史上見たことのない最高記録となる!これまでこれほどの聖なる体質、聖なる体力はこの地球上に出現したことはない!
『鎮殿金剛杵』は金階から下ろされたのだが、また新たな難題が残っていた。地上にある金階にも、試験用の280ポンドの金剛杵が置かれていて、同様に下ろしておかなければ試験の法会が開始できなかったのである。事実、アジアの30億人中、最強の強者であってもこの杵を聖座から持ち上げた記録が無いことはだれもが知っていた。一体誰が片手でこの棒を持ち上げて金階から下ろすことができるのだろうか。その場にいた強者たちも、どうすることもできなかったのである。最後、やはり南無羌佛がこの金剛杵を金階から取りおろして、この難問を解決した後、ようやく法会が正式に開催されることになったのである。
試験の前に南無羌佛の聖力を見ることができた人々は幸運であった。さらに誰もが、南無羌佛の若返り術と、外見が若く見えるだけでなく、その内面も同様に、青春を謳歌する若者よりも何倍も若々しいことを知り、驚嘆したのである。
羌佛の弟子である世界仏教総部の開初教尊は、「南無ドルジェチャン仏第三世がもつこの聖力以外には、この世界で、どの法王、どの大法師も『鎮殿金剛杵』は1ミリたりとも動かせなかった。仏陀の創った56レベル越えの記録を破る者がいるとは考えたこともなかったことを、私はここに断言する。」と語った。
これは事実である。これほどの聖力は、仏陀の本質である以外にこの世界で誰が行使することができるだろうか?信じようが信じまいが、納得しようがしまいが、事実はこの目の前にあって、仕掛けもトリックも一切無く、ただ実際の重量物を持上げたのだ。この能力に驚くこと以外に、私たちは、他に何が言えるだろうか
仏教史は、ずっと曖昧で形而上学的なものと位置づけられてきたが、この『台座の杵持上げ』試験を通して、やっとその鍵が開けられ、真相を顕にしてきたのだ!
「真の仏法は、聖力を顕し、偽る仏法は、理論を説くだけ。」
記者:有年
撮影:楊慧君
現場立会い:蔡曉薇弁護士