江口克彦先生は李元総統が生前プライベートで最も親しく交流された日本人であり、又、李元総統人生の一番最後に会われた外国の友人でした(2019年12月24日)。
江口先生は1967年、日本の経営の神様と言われた松下幸之助社長の命を受け日本の精英のリ一ダ一を養成する「松下政経塾」を設立して、22年の長きに渡リ、その経営に 関わり、門下生は日本中に遍く行き渡り、各々の領域でリ一ダ一シップを発揮している。
江口先生は2000年、中国の反対を物ともせず、毅然として李元総統の大作《台湾の主張を出版して、この本は日本の有史以来最も売れた政論性の書籍となり、江口先生はまさに「李登輝精神」を日本人の心の中に深く植えつけたking makerである。
江口先生は「松下政経塾」創立の責任者から「PHP綜合研究所」社長、参議院議員、そして現在の東アジア情勢研究所理事長に至るまで、台湾と李元総統を踌躇なく、一貫して支持して来られた(一以貫之)。
李元総統が退任後、9回訪日しているが、每回、江口先生が李元総統の為に、策を講じてあらゆる各方面に奔走されている。《李登輝訪日秘聞》の推薦文の中で、どのようにして李元総統を日本国会で講演できるようにしたのか、現役の首相は台湾の元総統と会見できない慣例を破って、どのようにして巧妙に安倍首相を李元総統に会えるようにしたのか等々が詳細に述べられている。
江口先生は下記の推薦文の中で菅首相(前官房長官)の陰ながらの助けを受けて、前例のない不可能な任務をどのようにして、完成させたかを述べている。
大田一博(王輝生)敬具
【江口克彦先生の贊辞と推薦文】
《台灣人間國寶李登輝訪日秘聞》
大田一博(王輝生)先生の著作出版を祝う。
私が日本の国会議員をしていた2015年の春、別の要件があって、当時の下村博文文部科学大臣を訪ねた。その用件が終わった後、私は、下村大臣に、台湾の李登輝元総統を日本の国会議員会館で講演をしてもらうことを進めてもらえないかと提案した。それは、日本の国会議員の誰も提案するどころか、考えたこともなかったことなので、私の提案を下村大臣が了承してくれるかどうか、不安であった。
ところが、下村大臣は、即座に、「それはいい話だ。進めようではないか」と同意してくれた。「安倍首相にも伝える」ということであった。私は、数時間後に、菅義偉官房長官に電話で、下村大臣との話の概要を伝えると、李登輝元総統招聘の話は、すでに菅官房長官に伝えられていた。「安倍総理に伝えますから、時間をください」ということであった。
翌日、菅官房長官から電話があった。「安倍総理も是非お招きしたいと、言われていますので、この話、進めましょう」ということであった。
直ちに、下村大臣を中心に、超党派で、「李登輝先生の講演を実現する国会議員の会」が結成された。李登輝元総統には、最初、私が訪台して、事前に伝え、正式招聘は、安倍総理の弟の岸信夫国会議員が訪台し、李登輝元総統に伝えた。
ついに、同年7月22日、日本の衆議院第一議員会館で、李登輝元総統の講演が行われた。400人収容の会場は、国会議員300人以上、また、議員秘書などであふれ、なんと500名ほどが、李登輝元総統の講演を聴きに集まった。そのため、超大物議員ですら、周囲の壁に張り付くように立ったままで聞かざるを得なかったが、講演の最後まで、退出するものは居なかった。
このようなことは、前代未聞のことであったが、李登輝元総統は、『台湾パラダイムの変遷』と題し、日本語で講演。「台湾では、“独立した台湾人”という意識が確立した。われわれは、“ひとつの中国”に同意することは出来ない。“託古改制”ではなく、“脱古改新”でなければならない」と持論を滔々と語った。その迫力ある堂々たる風格の李登輝元総統の姿に、日本の国会議員は、ある者は圧倒され、また、ある者は、真の最高指導者とは、このような人だと感銘を深くした。李登輝元総統の、日本における国会議員に与えた強烈なインパクトは、想像を超えるものがあった。
その日の夕方、私は、再び、菅官房長官に電話を架け、この度の尽力のお礼とともに、今まで日本の歴代の総理が避けてきた、“現職”の総理大臣の、李登輝元総統との面談を要請した。「分かりました。とにかく、総理に」ということであったが、翌朝6時前に電話が架かってきた。菅官房長官からである。「安倍総理が、了解されました。きょう午前中に、李登輝元総統のお泊りになっているホテルの部屋に、総理が行かれるそうです」と話しつつ、「ただ、この件については、極秘ということで、お願いします」と菅官房長官は、付け加えた。
安倍総理の、李登輝元総統の面談は、その日、7月23日の午前中に予定通り、行われた。この面談について、マスコミの記者たちが、その事実を確認したが、安倍総理は、「その事実は知らない」と言い、李登輝元総統は、「ノーコメント」と応じていた。
このことについては、大田一博先生のこの書でも、さらに記述されているから、読者は、もっと深くこの経緯を知ることが出来るだろう。
それはともかく、なぜ、李登輝元総統への私の思いが、かくの如く強いのかと言えば、1986年、副総統からのお付き合いで、その長いお付き合いから、「李登輝」という人こそ、世界に誇る最高の指導者であり、崇高な人物であるとともに、また、超人的、哲人的、超絶的な人物であると確信するに至ったからである。私の、もっとも尊敬するひとりである。ちなみに、もうひとりは、私の仕えた松下幸之助である。
そのような30余年の李登輝元総統との交流は、また、稿を改めるが、その過程の中で、自然と大田一博(王輝生)先生から、さまざまなご指導を頂くようになった。それは、二つの川が、お互い気がつかないうちに合流し、大河となるように、大田一博先生との「友情の大河」は、極めて自然に、また、必然であったように思う。そして、私たちの「友情の大河」は、「李登輝」という共通の「憧憬」で、時の流れとともに、ますます清く、ますます混然一体、深い交わりとなっていった。
私は、大田先生ほど、純粋で、情熱的な人は、他に知らない。自分のことを見事に捨てて、台湾のこと、台湾同胞のこと、李登輝元総統のことを思い、さまざまなことに献身的に奉仕する。ときおり、電話を架けてくるが、その話しぶりは、あたかも、国士であり、義士であり、志士である。まさしく、日本の明治維新の坂本龍馬であり、西郷隆盛であり、勝海舟であり、後藤新平である。その自主独立の精神は、李登輝元総統に次ぐものであろう。日本の慶應義塾大学の創始者である福沢諭吉は、「自主独立の気概なき者は、国を思うこと深切ならず」という言葉を残しているが、大田一博先生は、まさに、自主独立の精神をもった高潔な「侍(さむらい)」といえると思っている。
そのような大田一博先生が、この度、『台湾人間國寶李登輝不為人知的訪日秘辛』という著作を上梓することを知った。今日までの「太田一博」からすれば、当然の著作であり、これ以上の喜びはない。李登輝元総統は、結局、9回、訪日している。日本の国会議員会館の講演だけでなく、その他の訪日についても、興味深い秘話が書かれている。多くの方々にぜひお読みいただきたいと願う。
また、歴代の駐日大使のなかでも群を抜いて、今日、多くの日本の政治家、識者、日本国民から高く評価されている謝長廷大使が、賛辞、推薦の言葉を書かれると聞く。大田一博先生が高潔な国士であることを思えば、至極当然のことだと思う。
盟友、大田一博先生のご高著出版を祝し、また、今後の更なるご活躍を祈るばかりである。
一般財団法人 東アジア情勢研究会
理事長 江口克彦
江口克彦博士の略歴:
学歴
日本慶應大学 経済学博士
職歴
1967–1980松下政経塾創立準備責任者。
1980–1989松下政経塾経営参与と教授。
內閣総理大臣諮問機関経済審議会特別委員。
PHP総合研究所社長。
日本参議院議員。
東アジア情勢研究所理事長。
学術歴
大阪大学、中小企業大学、立命館大学、法政大学等大学的客員教授
叙勳歴
日本旭日中授章。
日本文化廳長官表彰。
日本東久邇宮文化褒賞。
日本京都府產業功勞者表彰。
台灣紫色大綬景星勳章。
台灣僑委會華僑之友榮譽章。
台湾国際報導文化賞。
著作(78冊)
講演(2007年から2017年までまで共548場)