日本台湾交流会の会長手記

0

2024年2月に発足した日本台湾交流会のメンバーらが3月7日から10日間の日程で台湾を訪問しました。

その前に、私と台湾とのつながりについて説明させてください。私の祖父山本精一は戦前台湾に渡り、兄の山本義信と共に炭鉱業や水道事業などを行っていたと聞いておりました。聞いておりましたというのは祖父の精一が終戦前に亡くなってしまったことと、父の健一郎が、私が幼年の時、38歳の若さで亡くなり山本家の祖父世代のつながりが切れてしまったことで我が家では埋もれた記憶となってしまっていたのです。

数少ない証言者だった叔父叔母達も台湾にいたころは小学生だったので、夏休みに山本公園(現陽明山公園)の別荘に遊びに行っていたとか、大正町(現台北市中山区で今では日本のラーメン屋になっていました)という所に住んでいたとか、伯父さん(山本義信)は板橋区(現新北市中和区)に住んでいたとか、家にはお手伝いさんがいっぱいいたとか、何不自由なく暮らしていた子供時代の楽しい思い出の話と、一転して戦後に日本に引き上げて財産も祖父精一も父健一郎も何もかもなくなったという暗い話ばかりで台湾での祖父世代の事業の話はあまり聞けませんでした。

転機が訪れたのは2010年の息子との台湾旅行でした。時代はネット社会になり調べてみると台湾に残った日本の遺産や神社を調べている人が数多くいるではありませんか。中でも台湾の大学には山本家の事業に関する論文が2本あり、自由に閲覧できたことが決定打となりました。論文を読み込み山本炭鉱が当時台湾で4番目に大きい炭鉱会社だった事がわかり、その論文に記載されている記念碑の場所を息子と二人で見つけ出したのが、雲をつかむような話から、私たちと台湾とのつながりが今も生きているという確かなものにしました。

 私的な話が長くなりましたが、今回の訪問団ではその2箇所の記念碑を訪れることを行程に盛り込みました。それが陽明山公園の設立の経緯を示した石碑と山本義信が住んでいた新台市中和区にある水道事業に関する山本記念碑でした。山本記念碑は15年前に訪れた時はだいぶ荒れていましたが今ではすっかり綺麗に整備されておりました。そこで同行した孫に「古いのがずっと残っていてすごいね」と言われたことで気が付かされました。何度も訪れたことのある故宮博物院には見切れないほどの素晴らしい歴史ある宝物がありますが、それは残念ながら今はなくなってしまった王朝の記憶です。この記念碑には今日も掃除してくれる名もない人がいるかもしれない。財を投じて保存してくれている人たちがいる。私たちが嫌われていたらこの碑はすでに壊されていたかもしれない。なにより炭坑跡の公園と水道は今でも台湾市民の生活の中で生きている。そう思うと感謝の念に堪えません。

忘れてならないのは日本台湾交流会台湾会の黄振中会長をはじめ、台湾の会員の熱烈な歓迎には毎度驚かせられます。日本へ対する深い愛情があってのことです。私たちには現在進行形で助け合う相思相愛の精神があります。私たちの先祖が台湾の発展に貢献できたことを誇りに思いつつ、現在進行形で何をしてあげられるか。また考えさせられる旅となりました。

最後に圓山大飯店での昼食会でWBC日台戦での大谷選手の活躍しすぎに冗談を入れつつも張淑玲先生の一言をご紹介します。「日本にも台湾にも良いところと悪いところがある。でも私たちは良いところを見てお互いに発展していきましょう」まさにその通りです。