2018年、沖縄の慰霊碑の前には穏やかな風が吹いていた。94歳となった李登輝元総統は、側近に支えられながら「台湾人戦没者慰霊碑」の除幕に臨み、「国のために証しを残す」との碑文を記した。
そこには、第二次世界大戦において異郷に倒れ、長らく歴史の陰に埋もれてきた台湾出身の日本兵への追悼の思いが込められていた。
嗚咽をこらえながら弔辞を読み上げるその姿を、私はすぐ傍らで見守っていた。涙ににじむ視界の中で、半世紀以上にわたり封じられてきた歴史が、ようやくひとつの区切りを迎えた瞬間を目の当たりにしたのである。これは彼にとって9度目にして最後の訪日であった。
今日の日台関係の親密さは、決して自明のものではない。20数年前、両者の間にはなお隔たりと冷ややかな空気が存在していた。その関係が断絶の淵から再び結び直されるまでの過程において、李元総統の果たした役割は極めて大きい。
総統を退任後、彼は9度にわたり日本の地を訪れた。それは単なる訪問ではなく、一種の呼びかけであり、静かながらも確かな波紋を広げる行動であった。表面的には穏やかに見える交流の裏で、深層では確実に流れが変わりつつあったのである。
もっとも、その都度中国の強い反発を招き、日本側には圧力や威嚇が加えられた。しかし歴史は必ずしも強権の意志に従うものではない。外部からの干渉はむしろ、日本社会の対台湾認識を徐々に変化させ、無関心から理解へ、そして今日の支持へと転じさせる契機となった。
李元総統の9度の訪日を通じて、在日台湾人である私はその現場に関わり続けてきた。台日交流の歩みは決して平坦ではなく、先人たちが困難を乗り越えながら切り拓いてきた道である。その過程には、「為し得ても語り得ない」水面下の努力が少なからず存在した。公式の記録には残らないものの、そうした積み重ねこそが信頼と暗黙の了解を生み、関係深化の基盤を形作ってきたのである。
例えば2000年、私は京都大学の同窓生の立場から、日本国内で李元総統訪日を支持する署名活動を立ち上げ、1万5千人以上の賛同を得た。その中には88名の京大教授も含まれていた。さらに京都大学で記者会見を開き、「李登輝、頑張ろう!」という民間からの声援が広がる中、初の訪日実現に向けた決定的な一歩を後押しすることとなった。
こうして築かれてきた日台関係の「苦尽甘来」の歴史は、決して容易に得られたものではない。しかし時の流れとともに、その記憶は風化し、やがて歴史の彼方に埋もれていく危うさをはらんでいる。当事者の一人として、私はこの過程を記録に残す責任を感じている。著書『李登輝訪日秘聞』の出版に加え、先月台湾の母校で講演を行い、これまで語られることの少なかった断片的な事実を可能な限り明らかにしたのも、そのためである。
その意義をあえて言うならば、将来の日台交流の流れの中に、わずかな光を灯すことにほかならない。この得難い経験と記憶が歴史の闇に消えることなく、後に続く人々にとっての一つの参照点となることを願っている。


投書人:大田一博
2026年4月27日





















































