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TSMC熊本工場が建設着手~24年12月の本格稼働目指す

世界大手の半導体メーカー台湾積体電路製造(TSMC)の熊本県菊陽町の工場進出のために設立した子会社JASM(堀田祐一社長)が4月19日、熊本市内で事業概要を説明し、同21日に菊陽町で工場建設に着手する事を明らかにした。同時に菊陽町と立地協定を締結した。稼働は2024年12月の出荷開始を目指す。

協定締結式にはTSMCの堀田社長と後藤三雄菊陽町長が出席し、蒲島郁夫熊本県知事の立ち合いの下に協定書に署名した。「日本国内で初めての工場が熊本県に建設されることを知事として大変嬉しく思います」(蒲島県知事)と述べ、 「九州そして熊本が、将来世界における一大半導体生産地域となる大きな可能性があると期待しています」(堀田社長)と話した。

新設工場はスマートフォンやコンピュータ等に使用されるCPUの元となる半導体ウェーハを月間5万5000枚製造する予定で、同町の第二原水工業団地に工場棟と事務所棟、電力などを供給するための「用力棟」を建設する。主に国内企業へ提供する考え。

建築面積は計約7万2200平方メートル。総投資額は約86億米㌦としており、日本円に換算すると、1兆円規模。県内への新規工場立地で過去最大規模の投資額となる見込み。先端半導体の国内生産を促す方針に基づき日本政府が半額程度を補助する方針で、県も最大50億円を補助する。 

雇用は約1700人を計画し、このうち7割の人員を新規雇用もしくはアウトソーシングする見込み。技術者約320人はTSMCから出向する見通し。すでに台湾から技術者10人とその家族が熊本入りしている。また、ソニーグループからも約200人が出向し、残りの約1200人を新規採用や派遣で確保する。技術系新卒の募集の開始も明らかにした。

台藝術團隊豪華朗機工登日 越後妻有大地藝術節展出

【新潟/綜合報導】日本指標性國際藝術盛會「越後妻有大地藝術節2022」於昨(29)日正式開幕,台灣知名藝術團隊豪華朗機工在文化部駐日台灣文化中心支持下,以藝術行動計畫「天氣好不好我們都要飛」應邀參展,為該團首度赴日展出,意義非凡。

 當日開幕式於越後妻有里山現代美術館舉行,藝術節總監、國際知名策展人北川富朗於致詞時感謝地方政府與藝術家的支持與理解,特別是許多海外藝術家在疫情下以遠端參與方式排除萬難讓作品得以順利展出。會後北川總監親自為應邀出席開幕式的貴賓克羅埃西亞駐日大使Drazen Hrastic、國立新美術館館長逢坂惠理子、日本國內參展藝術家及台灣文化中心主任王淑芳等人導覽展出作品。

豪華朗機工(照片提供:豪華朗機工)

 豪華朗機工表示,本次透過工作坊的形式邀集越後妻有地區34所中小學校的學童進行天氣鳥的圖紙創作,將共計4千張圖紙掃描後製成動畫,於越後妻有里山現代美術館展示,透過藝術創作帶領想像力飛行,集結各方能量和祝福,表達不畏疫情與困境勇往直前的精神。

豪華朗機工《天氣好不好我們都要飛》於越後妻有里山現代美術館展出情形

 台灣文化中心表示,近年因疫情導致跨國移動與藝文交流產生諸多限制,藝術家往往無法親赴藝術節現場進行佈展或宣傳,為在日推廣台灣當代藝術多元面貌,台灣文化中心於去(2021)年和日本具代表性的權威藝文媒體『美術手帖』合作辦理線上講座,邀請北川總監與豪華朗機工成員陳乂對談進行前置宣傳,今年更由北川總監主動邀請豪華朗機工成員張耿華與陳乂深度介紹本次參展作品、創作歷程與團隊其他類型作品,並將三部系列影片於藝術節官網公開,展現豪華朗機工的創作優勢與活力。

豪華朗機工於新潟縣十日町市及津南町發起繪圖創作募集,邀請在地學童參與集體創作,共同完成屬於越後妻有地區的動畫(照片提供:豪華朗機工)

    越後妻有大地藝術節以三年展形式於新潟縣越後妻有地區舉辦,是世界最大型的國際戶外藝術節。自2000年創辦至今成功吸引世界各地逾264萬人次造訪,本屆展覽活動因疫情延期至4月29日至11月13日舉行,共計展出333件來自世界各國的藝術家作品,於當代藝術領域占有重要地位。

前駐日副代表陳鴻基獲頒旭日重光章

【東京/綜合報導】日本台灣交流協會於四月二十九日發出新聞稿,公布2022年(令和4年)春季外國人敘勳的受勳名單,其中前駐日副代表、前亞東關係協會長陳鴻基獲得旭日重光章,日台交流協會也感謝陳鴻基在日台關係發展上無私的奉獻。

 新聞稿中指出,陳鴻基過去曾擔任過前亞東關係協會會長、前台北駐日經濟文化代表處副代表,對促日本和台灣的友好和互相理解有卓越的貢獻,因此特別頒發旭日重光章感謝他的付出。

 次外這次分別還有前台灣大學歷史學系教授李永熾獲頒旭日中綬章、鼎三國際企業會長林定三則獲頒「旭日雙光章」,能獲得勳章的人都是對日本國家公共有功勞者中,有引人矚目的顯著功績的人,並分春秋兩次頒布。

東京國際音樂祭登場 透過音樂推廣台灣

【東京/採訪報導】每年在大田區舉辦的東京國際音樂祭於四月二十九日登場,其中在第二天的場次,有旅居日本的台灣音樂家張瑞銘、嚴珮珊、蔡佩倫一同組團參加,現場演唱了各式各樣的台灣歌曲,希望能藉由音樂來推廣台灣,駐日代表謝長廷、大田區區長松原忠義、台灣文化中心主任王淑芳等人都到場支持。

駐日代表謝長廷(左三)、台灣文化中心主任王淑芳也到場支持。

 這次的演出,由張瑞銘負責聲樂的部分,嚴珮珊、蔡佩倫分別負責鋼琴和豎笛,三人合力演奏了數首台灣歌曲,像是膾炙人口的《望春風》、《黃昏的故鄉》、《花心》等,其中有幾首歌的歌詞也特別改成日文,加深日本民眾的印象。

 張瑞銘受訪時表示,因為這是台灣跟日本的音樂交流,就想說選一些在台灣和日本都有名的歌曲,並同時用中文、台語、日文來唱。另外自己平時也很常參加這樣的台日音樂交流,像目前居住的練馬區也很常有這樣的活動,都會拉著二胡介紹台灣,並泡茶給他們喝。

張瑞銘這次負責聲樂的部分

 張瑞銘也說,除了參加音樂交流活動外,現在也有在台灣文化中心的歌謠班教唱歌,以及在橫濱中華學院兼任音樂老師,都是為了台灣推廣出去,將台灣的音樂介紹出去,特別是在現在的世界局勢中,全世界都很重視台灣,因此才趁著機會透過音樂大力宣傳。

 嚴珮珊則提到,這次是第一次在日本參加表演台灣曲目的活動,過去在台灣讀大學時,雖然很常有發表台灣曲子的相關活動,這些曲子大家都覺得很好聽,跟西方古典音樂相較有不一樣的感覺,但卻很少有機會在校外演出,因此這次能在日本表演非常榮幸,雖然在編制上豎笛、聲樂和鋼琴的曲目少一點,但也多虧這次的演出,發現不少台灣優秀作曲家把樂曲改成好的編排,讓演奏後的成果出乎意料的好。

現場演唱不少台灣知名歌曲

 蔡佩倫也提到,能參加這次的活動,代表台灣在其他國家面前演出,是很難得的機會,而且也因為疫情的關係,有兩年多沒有回台灣,聽到張瑞銘老師在唱到一些歌詞時,都快要流淚了,回想起台灣的好,也很感謝有這次的音樂會,將許多台灣人聚集在一起,讓自己可以認識更多台灣朋友。

除了台灣的音樂家外,也邀請到其他國家的音樂家演出

 東京國際音樂祭從四月二十九日起至五月一日止,除了有日本音樂家、學校社團演出外,這次也安排許多外國音樂家演出,不僅台灣,還有英國、美國、玻利維亞等國的演出,明年的東京國際音樂祭也預定在五月初舉行。

台湾協会主催「令和4年 交礼台湾の会」が開催される

一般財団法人台湾協会は4月29日、東京飯田橋にあるホテルメトロポリタンエドモンドで「交礼台湾の会」を開催した。「交礼台湾の会」は、年に一回開催される交流会で、今年は台北駐日経済文化代表処から謝長廷代表、教育部の黄冠超部長、政務部の傅國家次官、劉家愷秘書官が臨席した。このほか日台に関わる各界の団体より来賓があり、日本に留学している台湾人留学生5人も招待された。

一般財団法人台湾協会は4月29日、東京飯田橋にあるホテルメトロポリタンエドモンドで「交礼台湾の会」を開催した。「交礼台湾の会」は、年に一回開催される交流会で、今年は台北駐日経済文化代表処から謝長廷代表、教育部の黄冠超部長、政務部の傅國家次官、劉家愷秘書官が臨席した。このほか日台に関わる各界の団体より来賓があり、日本に留学している台湾人留学生5人も招待された。

式典の冒頭、同会の池田維評議委員会会長が開会の挨拶を行い、次いで台北駐日経済文化代表処の謝長廷代表が来賓を代表して祝辞し挨拶した。謝代表は「近年は友好な日台関係、とくに日本の地方自治体との関係が深まった」と述べ、ロシアのウクライナ侵攻及び台湾有事については「台湾は軍事に屈しない」と述べた。

謝長廷代表の挨拶

その後、各来賓からの祝辞が続き、同会の清水一也代表理事による乾杯の音頭で宴席となった。歓談中は弦楽トリオによるクラシック音楽や、台湾と日本の楽曲も演奏されるなど大盛況だった。また台湾協会の活動がモニターで紹介され、招待された台湾人留学生が紹介される場面もあった。

弦楽トリオの演奏

台湾協会は、湾生を中心に日台の親睦友好の活動を継続しており、特に日本統治時代における台湾関連の貴重な資料を多数保管している唯一の団体として知られる。

⑧ 清水一也代表理事(右)の祖父が日本統治時代に台湾で作ったお米を原材料として醸造された台湾製焼酎を味わう謝長廷代表。岡部千枝理事(左)
⑨ 謝長廷代表(中央)と黄冠超教育部部長(左端)台湾人留学生5名

向明徳処長がコロナ禍の現況とWHO参加に期待感を発信

 台北駐大阪経済文化弁事処の向明徳処長はこのほど、弁事処のFBで新型コロナウイルス感染症の現状の取り組み及び今後の展望を発信した。

台湾は依然として感染拡大が続いており、国境を越える感染症に対応していくためには、関係各国・地域との情報の共有、国際的な公衆衛生・防疫体制の構築など、緊密な連携が必要とされています。台湾は、国際社会の一員として責任を最大限果たす能力と意欲があります。5月に開催されるWHOの年次総会などへの参加を強く希望しております。

日本の47都道府県のうち、すでに39の自治体において台湾のWHO参加を支持する意見書が採択されました。この場を借りて、ご尽力してくださった先生方及び関係者の皆様に、心より感謝申し上げます。引き続きご支持・ご支援のほどよろしくお願い致します。

なお、台湾のWHO参加の日本からの支持については、残りの東京、京都、愛知、静岡、岡山、滋賀、長崎、徳島の8地域からの支援も期待したいところだ。

親台派の野田議員、台湾への思いを語る

大阪府東大阪市市議会の野田祥子議員は4月27日、参議院議長の山東昭子氏を表敬訪問した。懇親後に台湾への思いを語った。

野田祥子議員は昨年三月より本格販売されている「台湾産パイナップル」の販売支援に多大な協力を実現した事をはじめ、関西地域における台湾に対する様々の支援を行っている。いわゆる「親台政治家」として知られる。

台湾への熱い思いはなぜかについて「2011年の東日本大震災時に、莫大な義援金はもとより、物心ともに、いの一番に心を持って身体ごと支援に汗を流していただきました。これをみても日本と台湾の間は強いつながりがあります」と語った。

どの領域で台湾と交流したいかについては「台湾と女性の社会地位について、そして両国の技術と物作りについて、さらに社会問題の交流の深化に期待したい」と述べた。

安倍元総理の「台湾有事は日本有事」に対しては「私は賛成。日本にとって台湾は一番大事な仲間」とし「日本は自国の事情で現行の憲法を改正しない限り日本は周辺地域の紛争に介入できない」と日本の事情も述べた。

地方議会を通じて日台交流が何をできるかについて「中央議会とは異なり地方議会は制限が少ない。まずは地方議会を動かし日台交流を深化させたい」と主張した。 コロナ収束後の台湾訪問には「3年前に台湾に行く機会があった。しかし当時は選挙期間なのでやむを得ず断念した。コロナが収束したら必ず台湾に行きたい」と語った。

逗子日台友好議員連盟の丸山会長が台湾について語る

逗子日台友好議員連盟の丸山治章会長は4月27日、参議院議長の山東昭子氏を表敬訪問し、昨年、参議院が世界保健機関(WHO)の台湾への対応に関する決議が可決された事に謝意を表し、感謝の言葉を伝えた。その後、懇親が行われた。会談後、丸山氏は次のように語った。

丸山会長が参議院長山東昭子さんを訪問

冒頭、昨年参議院が可決した台湾のWHOへの参加支持の可決は「やはりその影響が大きい」と述べた。

地方議会で日台友好議員連盟が立ち上がっている

パンデミックに発展した新型コロナウイルス感染症が収束しつつある現況下、今後の日台友好議員連盟の活動計画に関して「台北駐日経済文化代表処横浜分処の張淑玲処長を逗子に招聘して台湾の勉強会の開催、近年、日本で注目されている台湾祭の地元での開催、そして逗子の学生と台湾学生との交流会などを実施したい」と考えを示し、台湾への熱心さを語った。

また、地方議会が日台交流に与える影響については「地方では台湾への認識がまだ不足している。当面はその重要性を地方議員の中に浸透させたい」とし、「具体的に昨年より神奈川県の各自治体に日台友好議員連盟の立ち上げを推進している。これを軸に現在、神奈川県の各自治体に3つの準備会を立ち上げて年内の発足に向けて進めている」と説明した。

台湾訪問「機会があれば行きたい」

台湾では新型コロナウイルスによる厳しい水際対策が続いているが、コロナ収束後に台湾訪問の計画については「まだ決めていない。よろしければ張処長を通じて台湾訪問を叶えたい」と期待している。

台湾有事は日本有事「その通り」

安倍元総理による「台湾有事は日本有事」という主張については「その通り。21世紀になって、武力で国境を変えるという暴挙は許されない」と述べた。さらに日本を例に「日本の場合はロシア、北朝鮮、そして中国との紛争があり、まるで囲まれているようだ」と述べ「台湾と日本は民主主義の価値観を共有する国同士。台湾の重要性を日本人に認識してほしい」と述べた。最後に「地方議会をはじめ、台湾と日本のつながりをさらに深めたい」と期待感を示した。

丸山会長は昨年6月に「逗子日台友好議員連盟」を発足させた。今年3月には市議会議員に再選した経歴を持つ。

東京台灣商工會健康講座 邀駐日代表謝長廷談養生之道

【東京/採訪報導】東京台灣商工會於四月二十八日舉辦「大使與青年有約-邁向成功的健康之道」講座,邀請駐日代表謝長廷與旅居日本的年輕人探討健康的重要性和分享養生之道,謝代表也特別在現場展現自創的「流體太極」,讓年輕人們可以練習並增進身體健康。

駐日代表謝長廷分享健康養生之道

 這次的講座分別請到了駐日代表謝長廷、台灣貿易中心東京事務所所長陳英顯、督洋生技株式會社代表取締役社長游晉豪來演講,除了由謝代表分享健康和養生之道外,也探討了現今台灣產業在日本,以及健康產業發展的狀況,吸引不少年輕僑胞或留學生報名參加。

大家學習流體太極

 謝長廷也特別提到,自己過去雖然是運動員,但經過大學、留學、從政等,自己早已體力透支,在十多年前還一度病倒,後來就開始兼顧工作與健康,並注重身心靈平衡。同時謝代表也教導和講解年輕人自創的「流體太極」,並現場為大家示範,希望藉由經驗和流體太極,對年輕人帶來幫助。

藤田礼子會長致詞

 會長藤田礼子表示,自己過去也有段來日本辛苦留學創業的打拼時光,想到現在的年輕人也正處於艱辛之時,但成功的道路往往挫折重重,尤其是壓力累積對身體有害,若沒有健康的身體,事業再好也等於零,因此希望透過今天的健康講座,給年輕朋友們帶來助力,同時也了解東京台灣商工會並加入,讓大家一起互相切磋,創造更多商機。

陳所長介紹台灣企業在日本現狀

 東京台灣商工會理事林豐德表示,很謝謝東京台灣商工會舉辦了這次的講座,讓他學習到很多,很難得有這個機會跟駐日代表謝長廷交流學習,特別是透過他的經驗才認識到健康有多重要,真的是很難得可貴的經驗,今後也希望能有更多活動,讓年輕的台商們能繼續學習前輩的經驗,在日本闖出自己的一片天。

游社長分享健康產業狀況

 這次活動除了講座外,也特別安排了餐會交流,讓年輕的僑胞們和留學生等可以互相交流認識,留學生王姵穎表示,不論是謝大使、陳所長、游社長的講座都讓人印象深刻,而且這樣的講座對學生也很有幫助,不論是從中學習到的經驗,或是認識的新朋友,因為學生的交流圈大多都僅限在學校裡,很少有這樣與商界交流的機會。

講座後也舉辦餐會交流

追悼民主鬥士彭明敏教授 彭明敏和李登輝 體制外和體制內的改革路

【大阪/綜合報導】前總統府資政彭明敏教授於4月8日凌晨過世,享年98歲,這位將一生奉獻給台灣的民主鬥士,歷經斷臂、受刑、逃亡等跌宕起伏人生,一生在體制外為台灣人的自由,民主和人權在國際社會中奔走,最廣為人知的是曾發表「台灣人民自救運動宣言」及促成美國制定「台灣關係法」。但是鮮為人知的是,他和前總統李登輝之間,雖然很少碰面,實際卻是相識已久的老友,彼此之間有著超乎常人的默契,並且在許多歷史的重要轉折點,為台灣的民主化留下了重要影響。

時光回到1964年,彭明敏和李登輝這兩位從台大學生時代就結識的好友,與另一位楊姓友人 三人,經常聚會暢談理想抱負,一位充滿理想色彩,想要喚醒台灣人脫離外來政權的統治,成為自己的主宰;另一位沉穩務實,想要通過學識和專業,幫助農民改善生活。

彭明敏年輕的照片

兩個熱愛台灣的年輕人,後來都對台灣歷史產生極大的影響,即使命運將兩人帶往完全相反的道路,但是兩人卻極有默契地理應外合,一個在體制外宣傳理念,不斷以預言者的姿態思考台灣下一步應該向何處走;一個在體制內,以務實的精神,一步一步推動台灣走向自主民主道路。一場改寫台灣人歷史的寧靜革命,就隨著兩人的精采人生軌跡悄悄地展開,並且付諸實現了。

李登輝和彭明敏,一個是光,在官僚體制內一步一步往上爬,最後登上總統大位,經過12年的改革,以不流血的方式終結一黨專政,完成首次政黨輪替,帶領台灣人民走向自主的道路;另一個是影,不斷衝撞現有體制,歷經受刑,逃亡海外22年等劫難,成為台獨精神領袖,不斷面向國際社會為台灣發聲,然而得罪當局者的結果,是付出巨大代價,孑然一身,度過晚年。兩位性格和選擇截然不同,方向背道而馳的兩人,卻在許多歷史的轉折點,發揮超乎常人的默契,影響台灣的歷史。

年輕時的彭明敏,堪稱天之驕子,出身醫生世家,曾留學東京帝大,法國巴黎大學法學博士,38歲就成為台大法學部政治系主任,並當選十大傑出青年,他開的課場場爆滿,是不少學子的偶像。但他在自傳裡卻描述了當時內心十分痛苦,因為精通法律和政治的他,深知蔣介石領導的國民黨,正利用反攻大陸的口號,製造一連串的虛幻假象,不肯承認中華民國早已失去中國大陸統治權的事實,實施言論控制,教育下一代大中國思想,稱中華民國的領土是一枚美麗的秋海棠,並且實施動員戡亂時期條款,將元首任期無限延長,這些現實是一個有良知的知識份子難以忍受的。

彭明敏親筆字跡(野口一提供)

1964年,他與學生謝聰敏、魏廷朝發表「台灣人民自救運動宣言」,希望藉由發傳單給社會有識分子的方式,打破蔣介石的反攻大陸神話,宣言中指出「一個中國,一個台灣,早已是鐵一般的事實」;鼓吹「制定新憲法,實行真正的民主制度,加入聯合國。」可惜事蹟敗露,傳單被沒收,三人被收押禁見,雖然經過國際人權組織的奔走,彭明敏獲得特赦,但是卻過著被監視,軟禁的生活。

1970年,他在美國傳教士和日本友人宗像隆幸,阿部賢一等人的幫助下,成功易容逃亡日本,再轉往瑞典,接著又轉往美國,接受密西根大學客座教授一職。精通國際法的他,早已預料到中華民國將失去在聯合國的常任理事地位,1971年聯合國正式承認中華人民共和國為代表中國的合法政權,美國曾斡旋希望台灣另取國名留在聯合國,結果在蔣介石堅持漢賊不兩立的情況下,台灣被迫退出聯合國,成為國際孤兒。

彭明敏1972年用英文所寫的「自由的滋味」,在海外引起極大迴響。

1979年彭明敏受邀在美國國會的聽證會發言,指出「一個中國,一個台灣是鐵一般的事實,台灣人有權決定自己的未來」, 這些證言促成了美國制定「台灣關係法」,保障台灣人民和台海的安全。

值得一提的是,在近藤伸二著作的「彭明敏,與蔣介石對抗的台灣人」中提到,1964年彭明敏發表「台灣人民自救運動宣言」的前一夜,正好與李登輝和楊姓友人相約聚餐,只是席間並未透漏口風,自己將在隔天採取驚人行動。彭明敏的理由是,一是不願牽連朋友,二是當時他認為李登輝當時只關心農民生活,並未對政治有興趣。

1990年李登輝競選總統,彭明敏身為獨派領袖,卻在美國紐約召開記者會發表聲明支持國民黨候選人李登輝連任,引起許多黨外人士的不諒解。彭明敏的理由是,在當時的時空背景,他認為李登輝是最適合帶領台灣繼續向前走的人。李登輝當選後,彭特地託付友人帶了一封寫了整整四頁紙的信,向李登輝提出許多建言,包括國會全面改選,總統直選,政治犯的釋放和黑名單的解除,以及公開總統個人資產,開放總統府等等;而事後證明,有不少意見被李登輝採納並且付諸實現。

日本作家近藤伸二形容彭明敏是挑戰蔣介石的台灣人

1992年李登輝正式解除黑名單,彭明敏在逃亡22年後終於回到台灣,在機場受到盛大歡迎, 並挾這股人氣在1996年參選總統,與昔日好友李登輝正面對決,兩人在辯論時始終保持君子之爭,沒有進行人身攻擊,最後彭明敏以第二高票落選。

2000年李登輝提名連戰競選總統,選舉前夕,彭明敏已經看出選情對連戰不利,一旦落選,李登輝一定會被逼宮,辭去國民黨主席職位,因此又託人寫信提醒李登輝,一定要抵抗住壓力,不要輕易辭職。但是李登輝卻回覆,民調顯示連戰會高票當選,彭明敏認為是周圍的幕僚用假民調數字蒙蔽了李登輝,結果連戰果然大敗,李登輝迫於黨內外壓力,辭去國民黨主席。

彭明敏與日本友人野口一(左)合影(野口一提供)

從種種紀錄顯示,兩人在關鍵時刻經常保持聯繫,給予建言和提醒,惺惺相惜之意溢於言表,偶爾也會互開對方的玩笑。彭明敏的日本友人,也是大阪日台交流協會會長野口一表示,晚年彭明敏依然通過電話和李登輝保持聯繫,彭明敏曾對他說,李登輝心中有兩個李登輝,一個是中華民國總統李登輝,一個是台灣人的李登輝(指兩個立場經常矛盾衝突)。李登輝則稱彭明敏二十多年來沒有進步,(指依然是那個衝撞體制的唐吉軻德青年)。2020年彭明敏與幾個獨派大老登報要求蔡英文退選,這是他最後一次公開批評現有體制。李登輝曾如此形容兩人的差異,彭明敏選擇體制外路線,一生注定行走在危險的鋼索上;他因為留在體制內,必須拿著平衡木,小心翼翼兼顧左右,才能走完鋼索,許多關於理想的話,他只能放在心裡不能大聲說出來。

作家李敏勇在「夢二途」一書中,以「紳士」和「武士」形容彭明敏和李登輝,彭明敏是浪漫主義者,一生不求官,不求名利,數次拒絕蔣介石、蔣經國、和李登輝的邀約,堅持知識分子的清風傲骨。秉持知識分子的良心,終身站在體制外扮演監督政府的角色。李登輝則是務實主義者,能忍常人所不能忍,通過蔣經國學校長達6年的考驗,挺過政爭風暴,從基層一步一步登上總統大位,成為不入虎穴,焉得虎子的「虎口下的總統」。

斯人已逝,但精神長存,再精彩的人生,也會迎來休止符,彭明敏教授驚滔駭浪,高潮起伏的人生,彷彿聖經所說:「我們都成了一台戲,留給世人和天使觀看」。但是他留下的「一個中國,一個台灣是鐵一般的事實」,「中國只有一個,但是裡面不包括台灣」,「台灣已經完成島內的自由和民主,下一步是追求國家正常化,重新回到聯合國」等主張,相信仍會留在許多關心台灣未來前途的人心中。