ドキュメンタリー映画「呉さんの包丁」公開記念 林雅行監督インタビュー

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林雅行監督
林雅行監督

沖縄の白梅学徒、長崎の被爆者、戦災傷害者など、日本人と戦争をテーマとした作品で知られる林雅行監督。「風を聴く」(2007年)、「雨が舞う」(2009年)を製作し、「老兵挽歌」を完成済みだ。こうしたなか、8月24日、待望のロードショー公開となるドキュメンタリー映画「呉さんの包丁」の魅力について聞いた。

Q「呉さんの包丁」製作のきっかけは

A「老兵挽歌」という作品のラストロケで金門島を訪れた際に民宿のおっちゃんから「包丁買っていきませんか」と言われて呉さんを訪ねたのが発端です。2009年の10月頃のことです。

Q最初の出会いは

Aなんで金門島に来たかというので「栄民の家」の取材をしていると言ったら、この島は外省人の島で台湾ではよく言われないけれど金門島の外省人は台湾のためにいっぱい命を落としているんだよと。そこで話が合っていろいろ話すようになりましたね。

Q撮影はいつから

A2010年の春から。1年間で5回は行きました。季節感も撮りたいですからね。1回が1週間ぐらい。日本からのクルーは私とカメラマンと通訳の3人から4人が基本です。

Q撮影対象は

Aなぜ「砲弾から包丁なのか」ということになるんですが、当時、呉さんらが住んでいた家(廃屋だが残存)や出身の小学校を訪ねたり、呉さんの家族(奥様)に密着したり。

Q包丁づくりの現場は

A呉さんの家が工場です。砲弾は基本的には中が空洞の宣伝弾を使いますが、爆弾も使います。これを削ってコークスの中に入れて真っ赤に焼いて叩くという方法です。技術的には難しくないと思いますが、単なる商売ではない強い想いが込められています。

Qエピソードは

A呉さんは中華民国では八二三砲戦(1958年8月23日~)の翌年、1959年生まれですから以来、1978年まで約20年間、中国から砲弾が飛んできたわけで、どういう心理状態になるか。沖縄もそうですけど金門島も精神が病んだ人が多いようです。この辺りのことを映画のなかで語っています。昔は(中国を)恨んだけれどもある日突然、自分は変わったんだと。もうそういう時代じゃないと。

Q課題はなんだったか

A金門島をどう見せていくか悩みました。台湾は情報がありますけど、金門島情報は少ない。日本で翻訳されている金門島の研究書は間違いが多い。金門島は台湾であって台湾じゃない。中国の現代史からも台湾の現代史からも消えています。軍人の街で住民も住んでいましたが、砲戦で爆弾が落ちるようになって金門人は台湾に避難していた。こうした歴史は押えましたが。また、日本の占領時代もありましたし。これらをどう見せるか。説明では面白くないですし、学習になってもしょうがない。

Qどのような方にみてもらいたいか

Aどのような方であれ、勇気をもらえると思う。その人の人生を通してしか感情移入できないストーリー性があります。跡取りだった兄が死んだとき、父が死んだとき、結婚したときなど、呉さんがどのように生きたか、節目節目を描いていますのでどこかの段階で感情移入していただけると思います。

Q上映予定は

A8月24日よりユーロスペースで公開となります。金門島でも予定しています。知事が支援を約束してくれていますから。中国では廈門市でぜひ上映したいものです。