大阪を皮切りに福岡、大阪、那覇、そして横浜において日台関係の諸問題と向き合ってきた粘信士処長に、これまでの足跡と現況を聞いた。
Q日本への興味はいつから。
A高校時代から日本に対して憧れがあり、あえて言えばジャパンマニアの先駆者です(笑)。日本語は独学で勉強しました。大学では正式な講義を受けましたが足りず、当時、参加していた救国団のボランティア活動で勉強した部分が大きい。日本青年会議所の招きで中華民国青年会議所の代表のひとりとして、北九州でホームスティをしたり、青年の船(横浜・香港・高雄)に乗った経験もあります。
Q大阪は初任地(1990年)、2000年の大阪勤務では部長に就任したが。
A初勤務時は30歳未満です。青春時代を大阪で過ごしました。ゼロからのスタートで査証業務、渉外、僑務と様々勉強しましたが、最初の勤務では大阪中華学校の財政問題、2回目の時は大阪中華学校の講堂建設問題が印象深い。華僑界の熱心なリーダーの尽力で解決しました。忘れられないのは2001年から始めた大阪中華学校での春節祭です。最初は2000人ぐらい、今は6000人が来場するようになっています。
Q福岡勤務は。
Aいろいろ勉強しました。学生オリンピック大会、アジア映画祭、アジア子ども会議など福岡は国際的活動が多い。当時は両岸関係がまだ緩和されていませんから対応が難しかった。ですが、福岡勤務は温泉視察など楽しい思い出も多いですね。九州は台湾への修学旅行の数が多いのも特徴です。
Q沖縄勤務は。
A処長ということでプレッシャーもありました。任期中は激動の2年でしたね。尖閣国有化問題や漁業協定調印もありましたから。この間、新規事業も立ち上げました。交流のプラットフォームとして、那覇市、宮古島市、豊見城市、宜野湾市に友好議員連盟を作り、親善交流団体(八重山台湾親善交流協会ほか)やOB団体をそれぞれ2団体、計8団体作りました。また、沖縄と台湾の漁業者同士の交流、意思疎通は大事です。新任挨拶で沖縄県漁業協同組合連合会を訪問したり、日台の漁業者の意見交換会も開催しました。地元の役割はあります。
Q横浜の処長に就任したが。
Aびっくりしましたが、喜んでいます。横浜開港以来、150年の伝統がある横浜中華街やこの伝統を守っておられる華僑社会や地域の皆さんの情熱に感心しています。横浜華僑総会、横浜中華学院、横浜分処が二人三脚で協力体制を敷いて頑張りたいと思います。
Q横浜では様々な日台交流活動が行われているが。
A昨年11月のラリーニッポン(発起人:横浜市議会議員連盟)は大盛況でした。端午の節句のドラゴンレースではパートナーシテイ提携を結んでいる台北からチームを呼ぶ予定ですし、今年1月末に台中で神奈川県物産展をやります。江ノ電と台湾平溪線との観光連盟協定(使用済み切符の相互無料利用)も好評です。
Q静岡県も管轄だが。
A昨年4月に台北に静岡県が台湾事務所を開設しました。静岡空港台湾便の定期便(週4便)も好調です。また、静岡県は台湾の6市県(台北市、新北市、基隆市、台南市、桃園県、嘉義県)と防災覚書に調印しました。今年の2月に本協定が調印します。こうした防災分野の情報交換や相互支援交流は他の都市に広がりを見せるのではと思っています。
●プロフィール
1961年11月2日生まれ。中国文化大学東語系卒業後、早稲田大学政研所修士卒。1985年外務省入省。1990年駐大阪弁事処課長、1995年駐福岡弁事処課長、1998年外務省亜州局日本課長、2000年駐大阪弁事処部長、2006年外務省報道局審議官、2007年外務省大臣官房審議官、2009年外務省日本事務担当局副局長、2011年那覇弁事処処長、2013年現職。