台湾映画界で活躍する日本人蔭山征彦こさん

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蔭山征彦(かげやままさひこ)さん
蔭山征彦(かげやままさひこ)さん

目標は俳優、脚本家、監督のマルチ映像人間

16歳の頃から舞台演劇の勉強を始め、18歳の時にプロダクションに移籍。映像中心の俳優となる。活動拠点は2004年からを台湾に移しており、中国語はネイテイブ並、台湾語も相当話せ、台湾映像業界で活躍する蔭山征彦(38歳)さんをインタビューした。

Qどのように俳優になったのですか?

16歳にテアトルアカデミーに入団。商業舞台を中心に活動。大学は一芸入試で有名な亜細亜大学に。1998~99年に北京に留学し、中国語を一生懸命に勉強しました。帰ってから、台湾中部に大きな地震が起こり、中国語が話せるので、現地にボランテイアにいかないか、という話があり、99年に初めて台湾に行きました。2000年に亜細亜大学は卒業したが、もっと中国語を勉強したいと思い、親日的でもある台湾の政治大学語学センターに1年間留学しました。そして台湾で俳優の仕事をしようと2004年に芸能ビザを取りました。現在は、ある映画制作会社所属の俳優です。

Q活動歴などは?

2005年に映画「経過」(監督鄭文堂)の準主演島栄一郎役でデビュー。TVドラマやCMなどに出演。2012年大作映画「KANO」(製作統括魏徳聖、監督馬志翔)では、演技指導及び日本語指導を担当。台湾人の考え方、性格など大変勉強になりました。

この映画は日本の甲子園野球に初出場して決勝まで進んだ台湾の嘉義農林高校野球部の話で、今年の2月に台湾で公開されます。

2012年は映画「手機裡眼涙」(監督張世儫)の主演林昌宏役をやりました。

Q今後の目標などは?

まず、中国語がしっかりできないと、台湾では仕事ができません。この10年、自分では台湾人からみて普通に違和感がないようなスピード、語彙などを気にしてきました。国籍がキャステイングに妨げないように努力してきました。セリフも演技も、台湾の役者と同等に演技ができるように努力してきました。15年前に北京の中央戯劇学院で勉強したときは、文法はいまいちでしたが、発音には最大の努力してきた結果だと思います。

現在の目標は2つあって、1つ目は中華圏では一番の俳優になること。つまり映画の主演をはることです。2012年に「手機裡的眼涙」(父の子守歌)というアート系の作品で、主演をやりました。外国人の男として台湾映画で初めての主演でした。主演をはるという目標は達成しましたが、思ったより達成感がありませんでした。

次のステップとしてスタッフとして映画制作にはいるということが目標になりました。丁度高校野球映画「KANO」という大作が2012年11月から2013年3月まで撮影がありましたので、そこで日本語の指導と演技指導として参加しました。この作品で俳優としてだけでなく、制作サイドから映画をみることができ、大変勉強になりました。

台湾では映画監督は脚本がかけることが、とても重要です。自分で脚本を書いていたら、台湾の大女優で名監督でもあるシルビアチャン(張艾嘉)氏から、映画化しようと提案があり、昨年の9月から11月まで撮影してくれました。自分の脚本がどのように撮られるかが気になり、ノーギャラで、ずっと監督についてみさせてもらいました。この作品は「念念」といい現在ポストプロ中で今年2014年公開予定です。

いま蔭山は脚本が書けると、映画業界でしだいに知れ始めました。「念念」のお陰でオファーがあり、共同で脚本を書き始めました。時期がきたら次のステップ、つまり自分で書いたものを自分で監督する時期にはいりたいと思っています。

役者としては、今年4月から連続TVドラマの出演が決まっています。今は、役者でも、脚本、監督でも声がかかれば何でもやり。経験を積みたいと思っています。そして、作品を多面的に見たいと思う。いまの若者はアグレシブでないといわれますが、自分は自分を信じて、決して後悔をしたくありません。常に野心を持ち、いろいろな所にアンテナを張っていきたいと思います。

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