「宗像隆幸さんは私たちの心の中に生きています。我々は中国に対抗するために台湾政府と協力しつつ引き続き独立建国の志を貫きます」。有志らで組織する台湾の声である。
台湾の戒厳令期に、「党外」が国民党の政治的迫害から逃れるのを密かに支援した日本人宗像隆幸氏が2020年7月6日に84歳で逝去した事は記憶に新しい。
宗像氏は長年にわたり台湾独立建国運動に尽力。1970年に彭明敏教授が台湾から脱出するのを助けた人物として知られる。
台湾独立建国聯盟は4月24日、東京で宗像氏を偲ぶ会を開催した。同時に今年の4月初めに死去した彭明敏教授にも哀悼の意を表明した。
台独聯盟日本本部の林建良委員長は「武漢コロナウイルスの影響で、偲ぶ会開催に2年が経過しました。奇しくも台湾では、同じ日に彭明敏教授を偲ぶ会が行われ、2人の台湾の民主化のリーダーの不思議な運命を改めて感じました」と述べた。
宗像氏は1936年に鹿児島に生まれ、1961年に明治大学を卒業。日本人ではあったが、日本で台独聯盟に加わり、台湾で中核的な役割を担った。宗像氏の人生に影響を与えたキーパーソンである元駐日代表の許世楷は、偲ぶ会で「1959年末に東大に留学した際、たまたま宗像氏と同じ学生寮に住んでいた。当時、日本は安保闘争が激しく、宗像氏に台湾の現状について話したところ、自由と民主を愛する宗像氏と親友になった」と述懐した。さらに1961年頃、台独聯盟のリーダー王育徳が創刊した雑誌『台湾青年』の編集者として宗像氏を招いた。王氏は、宗像氏の誕生日が9月9日(重陽節)であることから「宋重陽」というペンネームをつけた。それ以来、2002年に第500号で停刊するまで宗像氏は『台湾青年』の編集長を務めた。
許氏によると、宗像氏はとても責任感があり、酒が好きであったが、彭明敏教授を台湾から脱出させる「X計画」の執行にあたっては、何ヶ月も酒を一滴も口にしなかった。宗像氏は彭明敏教授に偽造したパスポートを持たせ、日本人として台湾から脱出させる事を計画した。パスポートの刻印は精密だが、業者に依頼する訳にいかない。自作を強いられたが、酒のせいで精密な作業ができなくなることを恐れ、数ヶ月間一滴も飲まなかったという。
彭教授の台湾脱出を支援するまでは、宗像氏と彭教授は面識がなかった。宗像氏は「X計画」の成功の確率は5割しかないと見ていた。計画が失敗すれば、彭教授は国民党に暗殺される可能性もあり、宗像氏自身にも害が及ぶかもしれなかった。しかし、このお互いに会った事とない二人は互いを信じた。脱出成功の1971年5月に宗像氏と彭教授は米国で初めて対面した。2019年12月に宗像氏は美麗島事件40周年イベントに出席するために訪台し、彭教授に会ったがこれが二人の最後の会合となった。
林建良氏は、日台関係に大きな影響を与えたもう一つの重要な出来事を明らかにした。1998年11月の江沢民訪日に関わる出来事である。1998年6月、クリントン米大統領が中国を訪問した際、上海で「3のノー」政策を発表した。「米国は台湾の独立を支持せず、“一つの中国と一つの台湾(中国と台湾とは別の国)”を支持せず、主権国家からなる国際機関に台湾が加わることを支持せず」というもので、当時、台湾は大きな衝撃を受けた。
江沢民は同年11月の訪日に先立ち、クリントンが発表した「3のノー」政策同様の内容を、日中首脳の共同声明に盛り込むよう日本に要請した。当時、宗像氏が動いて、小渕恵三首相のアドバイザーである末次一郎氏を訪台させ李登輝総統との会談を実現した。これにより日本が中国側の要求に従うのを阻止する事ができ、小渕首相は外国メディアから中国の圧力に屈しないとの評価を得た。
台独聯盟日本本部が開催した宗像氏を偲ぶ会には300人余りが出席したが、その中には長年にわたり台湾民主化運動を心に留めて支援した日本人も少なくなかった。謝聡敏氏の台湾の政治犯リスト持ち出した小林正成氏や、「台湾の政治犯を救う会」の手塚登志雄氏などである。
宗像氏をよく知る元国策顧問の金美齢氏、日本の著名な政治評論家である櫻井よしこ氏、全日本台湾連合会の趙中正会長、在日台湾同郷会の岡山文章会長、国際政治アナリストの藤井厳喜氏、『李登輝秘録』著者・河崎真澄氏、台独聯盟日本本部の王明理・委員長代行らが宗像氏を偲び、蔡明耀副代表も出席して追悼を表明した。
金美齢氏は、宗像氏は豪快な人物で、「宗像伯爵」と呼んでいた。普通のサラリーマン向きの性格ではなく、貴族のような心を持っていた。台湾民主化に参加したことによってその人生が輝いた。「よくやった」と声を掛けたい。
宗像氏の妻瑞江夫人も出席し、感謝の言葉を述べた。宗像氏の熱意が、周囲の人を動かし、幸運にもいくつかの仕事のお手伝いをすることがでた。そのなかで、日本がある面で危機感を欠いていることがわかったという。
櫻井よしこ氏は、宗像氏が台湾民主化運動に生涯をささげたことは、もっと多くの日本人に知られるべきであるとした。日本と台湾は運命共同体であり、日本と台湾は絶対に中国の手に落ちてはならない。今が正念場だ、と語った。