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親台派の野田議員、台湾への思いを語る

大阪府東大阪市市議会の野田祥子議員は4月27日、参議院議長の山東昭子氏を表敬訪問した。懇親後に台湾への思いを語った。

野田祥子議員は昨年三月より本格販売されている「台湾産パイナップル」の販売支援に多大な協力を実現した事をはじめ、関西地域における台湾に対する様々の支援を行っている。いわゆる「親台政治家」として知られる。

台湾への熱い思いはなぜかについて「2011年の東日本大震災時に、莫大な義援金はもとより、物心ともに、いの一番に心を持って身体ごと支援に汗を流していただきました。これをみても日本と台湾の間は強いつながりがあります」と語った。

どの領域で台湾と交流したいかについては「台湾と女性の社会地位について、そして両国の技術と物作りについて、さらに社会問題の交流の深化に期待したい」と述べた。

安倍元総理の「台湾有事は日本有事」に対しては「私は賛成。日本にとって台湾は一番大事な仲間」とし「日本は自国の事情で現行の憲法を改正しない限り日本は周辺地域の紛争に介入できない」と日本の事情も述べた。

地方議会を通じて日台交流が何をできるかについて「中央議会とは異なり地方議会は制限が少ない。まずは地方議会を動かし日台交流を深化させたい」と主張した。 コロナ収束後の台湾訪問には「3年前に台湾に行く機会があった。しかし当時は選挙期間なのでやむを得ず断念した。コロナが収束したら必ず台湾に行きたい」と語った。

逗子日台友好議員連盟の丸山会長が台湾について語る

逗子日台友好議員連盟の丸山治章会長は4月27日、参議院議長の山東昭子氏を表敬訪問し、昨年、参議院が世界保健機関(WHO)の台湾への対応に関する決議が可決された事に謝意を表し、感謝の言葉を伝えた。その後、懇親が行われた。会談後、丸山氏は次のように語った。

丸山会長が参議院長山東昭子さんを訪問

冒頭、昨年参議院が可決した台湾のWHOへの参加支持の可決は「やはりその影響が大きい」と述べた。

地方議会で日台友好議員連盟が立ち上がっている

パンデミックに発展した新型コロナウイルス感染症が収束しつつある現況下、今後の日台友好議員連盟の活動計画に関して「台北駐日経済文化代表処横浜分処の張淑玲処長を逗子に招聘して台湾の勉強会の開催、近年、日本で注目されている台湾祭の地元での開催、そして逗子の学生と台湾学生との交流会などを実施したい」と考えを示し、台湾への熱心さを語った。

また、地方議会が日台交流に与える影響については「地方では台湾への認識がまだ不足している。当面はその重要性を地方議員の中に浸透させたい」とし、「具体的に昨年より神奈川県の各自治体に日台友好議員連盟の立ち上げを推進している。これを軸に現在、神奈川県の各自治体に3つの準備会を立ち上げて年内の発足に向けて進めている」と説明した。

台湾訪問「機会があれば行きたい」

台湾では新型コロナウイルスによる厳しい水際対策が続いているが、コロナ収束後に台湾訪問の計画については「まだ決めていない。よろしければ張処長を通じて台湾訪問を叶えたい」と期待している。

台湾有事は日本有事「その通り」

安倍元総理による「台湾有事は日本有事」という主張については「その通り。21世紀になって、武力で国境を変えるという暴挙は許されない」と述べた。さらに日本を例に「日本の場合はロシア、北朝鮮、そして中国との紛争があり、まるで囲まれているようだ」と述べ「台湾と日本は民主主義の価値観を共有する国同士。台湾の重要性を日本人に認識してほしい」と述べた。最後に「地方議会をはじめ、台湾と日本のつながりをさらに深めたい」と期待感を示した。

丸山会長は昨年6月に「逗子日台友好議員連盟」を発足させた。今年3月には市議会議員に再選した経歴を持つ。

東京台灣商工會健康講座 邀駐日代表謝長廷談養生之道

【東京/採訪報導】東京台灣商工會於四月二十八日舉辦「大使與青年有約-邁向成功的健康之道」講座,邀請駐日代表謝長廷與旅居日本的年輕人探討健康的重要性和分享養生之道,謝代表也特別在現場展現自創的「流體太極」,讓年輕人們可以練習並增進身體健康。

駐日代表謝長廷分享健康養生之道

 這次的講座分別請到了駐日代表謝長廷、台灣貿易中心東京事務所所長陳英顯、督洋生技株式會社代表取締役社長游晉豪來演講,除了由謝代表分享健康和養生之道外,也探討了現今台灣產業在日本,以及健康產業發展的狀況,吸引不少年輕僑胞或留學生報名參加。

大家學習流體太極

 謝長廷也特別提到,自己過去雖然是運動員,但經過大學、留學、從政等,自己早已體力透支,在十多年前還一度病倒,後來就開始兼顧工作與健康,並注重身心靈平衡。同時謝代表也教導和講解年輕人自創的「流體太極」,並現場為大家示範,希望藉由經驗和流體太極,對年輕人帶來幫助。

藤田礼子會長致詞

 會長藤田礼子表示,自己過去也有段來日本辛苦留學創業的打拼時光,想到現在的年輕人也正處於艱辛之時,但成功的道路往往挫折重重,尤其是壓力累積對身體有害,若沒有健康的身體,事業再好也等於零,因此希望透過今天的健康講座,給年輕朋友們帶來助力,同時也了解東京台灣商工會並加入,讓大家一起互相切磋,創造更多商機。

陳所長介紹台灣企業在日本現狀

 東京台灣商工會理事林豐德表示,很謝謝東京台灣商工會舉辦了這次的講座,讓他學習到很多,很難得有這個機會跟駐日代表謝長廷交流學習,特別是透過他的經驗才認識到健康有多重要,真的是很難得可貴的經驗,今後也希望能有更多活動,讓年輕的台商們能繼續學習前輩的經驗,在日本闖出自己的一片天。

游社長分享健康產業狀況

 這次活動除了講座外,也特別安排了餐會交流,讓年輕的僑胞們和留學生等可以互相交流認識,留學生王姵穎表示,不論是謝大使、陳所長、游社長的講座都讓人印象深刻,而且這樣的講座對學生也很有幫助,不論是從中學習到的經驗,或是認識的新朋友,因為學生的交流圈大多都僅限在學校裡,很少有這樣與商界交流的機會。

講座後也舉辦餐會交流

追悼民主鬥士彭明敏教授 彭明敏和李登輝 體制外和體制內的改革路

【大阪/綜合報導】前總統府資政彭明敏教授於4月8日凌晨過世,享年98歲,這位將一生奉獻給台灣的民主鬥士,歷經斷臂、受刑、逃亡等跌宕起伏人生,一生在體制外為台灣人的自由,民主和人權在國際社會中奔走,最廣為人知的是曾發表「台灣人民自救運動宣言」及促成美國制定「台灣關係法」。但是鮮為人知的是,他和前總統李登輝之間,雖然很少碰面,實際卻是相識已久的老友,彼此之間有著超乎常人的默契,並且在許多歷史的重要轉折點,為台灣的民主化留下了重要影響。

時光回到1964年,彭明敏和李登輝這兩位從台大學生時代就結識的好友,與另一位楊姓友人 三人,經常聚會暢談理想抱負,一位充滿理想色彩,想要喚醒台灣人脫離外來政權的統治,成為自己的主宰;另一位沉穩務實,想要通過學識和專業,幫助農民改善生活。

彭明敏年輕的照片

兩個熱愛台灣的年輕人,後來都對台灣歷史產生極大的影響,即使命運將兩人帶往完全相反的道路,但是兩人卻極有默契地理應外合,一個在體制外宣傳理念,不斷以預言者的姿態思考台灣下一步應該向何處走;一個在體制內,以務實的精神,一步一步推動台灣走向自主民主道路。一場改寫台灣人歷史的寧靜革命,就隨著兩人的精采人生軌跡悄悄地展開,並且付諸實現了。

李登輝和彭明敏,一個是光,在官僚體制內一步一步往上爬,最後登上總統大位,經過12年的改革,以不流血的方式終結一黨專政,完成首次政黨輪替,帶領台灣人民走向自主的道路;另一個是影,不斷衝撞現有體制,歷經受刑,逃亡海外22年等劫難,成為台獨精神領袖,不斷面向國際社會為台灣發聲,然而得罪當局者的結果,是付出巨大代價,孑然一身,度過晚年。兩位性格和選擇截然不同,方向背道而馳的兩人,卻在許多歷史的轉折點,發揮超乎常人的默契,影響台灣的歷史。

年輕時的彭明敏,堪稱天之驕子,出身醫生世家,曾留學東京帝大,法國巴黎大學法學博士,38歲就成為台大法學部政治系主任,並當選十大傑出青年,他開的課場場爆滿,是不少學子的偶像。但他在自傳裡卻描述了當時內心十分痛苦,因為精通法律和政治的他,深知蔣介石領導的國民黨,正利用反攻大陸的口號,製造一連串的虛幻假象,不肯承認中華民國早已失去中國大陸統治權的事實,實施言論控制,教育下一代大中國思想,稱中華民國的領土是一枚美麗的秋海棠,並且實施動員戡亂時期條款,將元首任期無限延長,這些現實是一個有良知的知識份子難以忍受的。

彭明敏親筆字跡(野口一提供)

1964年,他與學生謝聰敏、魏廷朝發表「台灣人民自救運動宣言」,希望藉由發傳單給社會有識分子的方式,打破蔣介石的反攻大陸神話,宣言中指出「一個中國,一個台灣,早已是鐵一般的事實」;鼓吹「制定新憲法,實行真正的民主制度,加入聯合國。」可惜事蹟敗露,傳單被沒收,三人被收押禁見,雖然經過國際人權組織的奔走,彭明敏獲得特赦,但是卻過著被監視,軟禁的生活。

1970年,他在美國傳教士和日本友人宗像隆幸,阿部賢一等人的幫助下,成功易容逃亡日本,再轉往瑞典,接著又轉往美國,接受密西根大學客座教授一職。精通國際法的他,早已預料到中華民國將失去在聯合國的常任理事地位,1971年聯合國正式承認中華人民共和國為代表中國的合法政權,美國曾斡旋希望台灣另取國名留在聯合國,結果在蔣介石堅持漢賊不兩立的情況下,台灣被迫退出聯合國,成為國際孤兒。

彭明敏1972年用英文所寫的「自由的滋味」,在海外引起極大迴響。

1979年彭明敏受邀在美國國會的聽證會發言,指出「一個中國,一個台灣是鐵一般的事實,台灣人有權決定自己的未來」, 這些證言促成了美國制定「台灣關係法」,保障台灣人民和台海的安全。

值得一提的是,在近藤伸二著作的「彭明敏,與蔣介石對抗的台灣人」中提到,1964年彭明敏發表「台灣人民自救運動宣言」的前一夜,正好與李登輝和楊姓友人相約聚餐,只是席間並未透漏口風,自己將在隔天採取驚人行動。彭明敏的理由是,一是不願牽連朋友,二是當時他認為李登輝當時只關心農民生活,並未對政治有興趣。

1990年李登輝競選總統,彭明敏身為獨派領袖,卻在美國紐約召開記者會發表聲明支持國民黨候選人李登輝連任,引起許多黨外人士的不諒解。彭明敏的理由是,在當時的時空背景,他認為李登輝是最適合帶領台灣繼續向前走的人。李登輝當選後,彭特地託付友人帶了一封寫了整整四頁紙的信,向李登輝提出許多建言,包括國會全面改選,總統直選,政治犯的釋放和黑名單的解除,以及公開總統個人資產,開放總統府等等;而事後證明,有不少意見被李登輝採納並且付諸實現。

日本作家近藤伸二形容彭明敏是挑戰蔣介石的台灣人

1992年李登輝正式解除黑名單,彭明敏在逃亡22年後終於回到台灣,在機場受到盛大歡迎, 並挾這股人氣在1996年參選總統,與昔日好友李登輝正面對決,兩人在辯論時始終保持君子之爭,沒有進行人身攻擊,最後彭明敏以第二高票落選。

2000年李登輝提名連戰競選總統,選舉前夕,彭明敏已經看出選情對連戰不利,一旦落選,李登輝一定會被逼宮,辭去國民黨主席職位,因此又託人寫信提醒李登輝,一定要抵抗住壓力,不要輕易辭職。但是李登輝卻回覆,民調顯示連戰會高票當選,彭明敏認為是周圍的幕僚用假民調數字蒙蔽了李登輝,結果連戰果然大敗,李登輝迫於黨內外壓力,辭去國民黨主席。

彭明敏與日本友人野口一(左)合影(野口一提供)

從種種紀錄顯示,兩人在關鍵時刻經常保持聯繫,給予建言和提醒,惺惺相惜之意溢於言表,偶爾也會互開對方的玩笑。彭明敏的日本友人,也是大阪日台交流協會會長野口一表示,晚年彭明敏依然通過電話和李登輝保持聯繫,彭明敏曾對他說,李登輝心中有兩個李登輝,一個是中華民國總統李登輝,一個是台灣人的李登輝(指兩個立場經常矛盾衝突)。李登輝則稱彭明敏二十多年來沒有進步,(指依然是那個衝撞體制的唐吉軻德青年)。2020年彭明敏與幾個獨派大老登報要求蔡英文退選,這是他最後一次公開批評現有體制。李登輝曾如此形容兩人的差異,彭明敏選擇體制外路線,一生注定行走在危險的鋼索上;他因為留在體制內,必須拿著平衡木,小心翼翼兼顧左右,才能走完鋼索,許多關於理想的話,他只能放在心裡不能大聲說出來。

作家李敏勇在「夢二途」一書中,以「紳士」和「武士」形容彭明敏和李登輝,彭明敏是浪漫主義者,一生不求官,不求名利,數次拒絕蔣介石、蔣經國、和李登輝的邀約,堅持知識分子的清風傲骨。秉持知識分子的良心,終身站在體制外扮演監督政府的角色。李登輝則是務實主義者,能忍常人所不能忍,通過蔣經國學校長達6年的考驗,挺過政爭風暴,從基層一步一步登上總統大位,成為不入虎穴,焉得虎子的「虎口下的總統」。

斯人已逝,但精神長存,再精彩的人生,也會迎來休止符,彭明敏教授驚滔駭浪,高潮起伏的人生,彷彿聖經所說:「我們都成了一台戲,留給世人和天使觀看」。但是他留下的「一個中國,一個台灣是鐵一般的事實」,「中國只有一個,但是裡面不包括台灣」,「台灣已經完成島內的自由和民主,下一步是追求國家正常化,重新回到聯合國」等主張,相信仍會留在許多關心台灣未來前途的人心中。

埼玉臺灣總會參訪聖天宮 祈求臺灣能參加WHO

【埼玉/綜合報導】埼玉臺灣總會4月23日舉辦臺灣日本文化交流之旅,為祈求臺灣人民平安及能參加第75屆世界衛生大會,特別安排參拜位聖天宮,團員們虔誠祈求神明,讓臺灣可以參與WHO,石井許子會長特別準備支持台灣參加WHO聲明書,獲得每個團員踴躍簽名以示支持。

石井許子會長特別準備支持台灣參與WHO聲明書,獲得團員踴躍簽名

  埼玉臺灣總會石井許子會長致詞表示,新冠肺炎疫情讓我們了解健康是全球議題,卻少一塊都無法防堵疫情,尤其臺灣醫療技術受到世界認可,臺灣如能參與第75屆世界衛生大會,一定可以為疫情,埼玉僑民支持臺灣參加

  駐日本代表處僑務組宋惠芸副組長表示,感謝埼玉鄉親對臺灣的支持,臺灣雖具有高水準醫療,但因為各種因素無法參加世界衛生大會,真的非常可惜。但是各位的支持是臺灣堅持的動力,台灣政府會盡一切力量爭取,希望大家運用人脈,讓更多日本友人支持台灣。

宋惠芸副組長贈送僑委會特製愛心能量包予山口晉眾議員

  埼玉選區的山口晉眾議員也親自至聖天宮向團員致意,團員也利用這個機會遞交聲明書,呼籲日本各界臺灣發聲。宋副組長為感謝山口晉眾議員,特別贈送僑委會製作之愛心能量包,並說明愛心能量包的內容。

  聖天宮供奉的神明是道教最高神明「三清道祖」,是旅日臺僑獨資籌建,建材特地從臺灣運來,也是日本最大的臺灣廟宇。聖天宮供奉的神明是道教最高神明「三清道祖」,是旅日臺僑獨資籌建,建材都是從臺灣運來,也是日本最大的臺灣廟宇。

埼玉台灣總會一日輕旅行 感受臺灣及日本文化

【埼玉/綜合報導】埼玉臺灣總會4月23日舉辦臺灣日本文化交流之旅,安排參拜聖天宮、和紙製作體驗、參訪松崗酒廠及涉澤榮一紀念館等,豐富的行程吸引埼玉臺灣鄉親踴躍參加,度過愉快的一天。

石井許子會長希望大家好好享受今天的旅行

 琦玉台灣總會石井許子會長表示,因為疫情關係,預定舉辦的料理教室等活動被迫取消,為加強大家聯繫,特別舉辦這次旅遊,今天的行程是執行部成員精心挑選,也事先勘查過,希望大家好好享受這一天的旅遊。

參訪百年釀酒廠

 駐日本代表處僑務組宋惠芸副組長致詞表示,今天的行程可以看得出執行部的用心,參拜臺灣廟宇聖天宮、和紙體驗、百年日本酒廠參訪等,在一次行程中感受到臺灣及日本文化。臺灣為了讓更多海外朋友了解臺灣,在臺灣+網站上有精彩的節目,歡迎大家踴躍上網閱覽或是下載APP。

團員體驗和紙製作

 埼玉臺灣總會在參拜聖天宮時,山口晉眾議員特地前來致意,感謝埼玉臺灣總會為台日交流做出的貢獻,期盼有更多臺灣人認識埼玉的景點,讓埼玉跟臺灣有更深的交流。

埼玉台灣總會參訪涉澤榮一紀念館

 該會在聖天宮祈求國泰民安之後,到百年以上的日本酒釀造酒廠,對日本酒製作有更深入了解,並在酒廠享用午餐及品嚐日本酒。下午進行和紙體驗,感受製作和紙的細膩過程,隨後參訪涉澤榮一紀念館,了解日本資本主義之父的一生,旅程在深谷花園中留下愉快倩影下結束。

宗像隆幸さんを偲ぶ会が2年越しに開かれる

 「宗像隆幸さんは私たちの心の中に生きています。我々は中国に対抗するために台湾政府と協力しつつ引き続き独立建国の志を貫きます」。有志らで組織する台湾の声である。

 台湾の戒厳令期に、「党外」が国民党の政治的迫害から逃れるのを密かに支援した日本人宗像隆幸氏が2020年7月6日に84歳で逝去した事は記憶に新しい。

宗像氏は長年にわたり台湾独立建国運動に尽力。1970年に彭明敏教授が台湾から脱出するのを助けた人物として知られる。

台湾独立建国聯盟は4月24日、東京で宗像氏を偲ぶ会を開催した。同時に今年の4月初めに死去した彭明敏教授にも哀悼の意を表明した。

台独聯盟日本本部林建良委員長

台独聯盟日本本部の林建良委員長は「武漢コロナウイルスの影響で、偲ぶ会開催に2年が経過しました。奇しくも台湾では、同じ日に彭明敏教授を偲ぶ会が行われ、2人の台湾の民主化のリーダーの不思議な運命を改めて感じました」と述べた。

 宗像氏は1936年に鹿児島に生まれ、1961年に明治大学を卒業。日本人ではあったが、日本で台独聯盟に加わり、台湾で中核的な役割を担った。宗像氏の人生に影響を与えたキーパーソンである元駐日代表の許世楷は、偲ぶ会で「1959年末に東大に留学した際、たまたま宗像氏と同じ学生寮に住んでいた。当時、日本は安保闘争が激しく、宗像氏に台湾の現状について話したところ、自由と民主を愛する宗像氏と親友になった」と述懐した。さらに1961年頃、台独聯盟のリーダー王育徳が創刊した雑誌『台湾青年』の編集者として宗像氏を招いた。王氏は、宗像氏の誕生日が9月9日(重陽節)であることから「宋重陽」というペンネームをつけた。それ以来、2002年に第500号で停刊するまで宗像氏は『台湾青年』の編集長を務めた。

元駐日代表の許世楷

 許氏によると、宗像氏はとても責任感があり、酒が好きであったが、彭明敏教授を台湾から脱出させる「X計画」の執行にあたっては、何ヶ月も酒を一滴も口にしなかった。宗像氏は彭明敏教授に偽造したパスポートを持たせ、日本人として台湾から脱出させる事を計画した。パスポートの刻印は精密だが、業者に依頼する訳にいかない。自作を強いられたが、酒のせいで精密な作業ができなくなることを恐れ、数ヶ月間一滴も飲まなかったという。

 彭教授の台湾脱出を支援するまでは、宗像氏と彭教授は面識がなかった。宗像氏は「X計画」の成功の確率は5割しかないと見ていた。計画が失敗すれば、彭教授は国民党に暗殺される可能性もあり、宗像氏自身にも害が及ぶかもしれなかった。しかし、このお互いに会った事とない二人は互いを信じた。脱出成功の1971年5月に宗像氏と彭教授は米国で初めて対面した。2019年12月に宗像氏は美麗島事件40周年イベントに出席するために訪台し、彭教授に会ったがこれが二人の最後の会合となった。

 林建良氏は、日台関係に大きな影響を与えたもう一つの重要な出来事を明らかにした。1998年11月の江沢民訪日に関わる出来事である。1998年6月、クリントン米大統領が中国を訪問した際、上海で「3のノー」政策を発表した。「米国は台湾の独立を支持せず、“一つの中国と一つの台湾(中国と台湾とは別の国)”を支持せず、主権国家からなる国際機関に台湾が加わることを支持せず」というもので、当時、台湾は大きな衝撃を受けた。

駐日副代表蔡明耀

 江沢民は同年11月の訪日に先立ち、クリントンが発表した「3のノー」政策同様の内容を、日中首脳の共同声明に盛り込むよう日本に要請した。当時、宗像氏が動いて、小渕恵三首相のアドバイザーである末次一郎氏を訪台させ李登輝総統との会談を実現した。これにより日本が中国側の要求に従うのを阻止する事ができ、小渕首相は外国メディアから中国の圧力に屈しないとの評価を得た。

全台連会長趙中正の挨拶

 台独聯盟日本本部が開催した宗像氏を偲ぶ会には300人余りが出席したが、その中には長年にわたり台湾民主化運動を心に留めて支援した日本人も少なくなかった。謝聡敏氏の台湾の政治犯リスト持ち出した小林正成氏や、「台湾の政治犯を救う会」の手塚登志雄氏などである。

 宗像氏をよく知る元国策顧問の金美齢氏、日本の著名な政治評論家である櫻井よしこ氏、全日本台湾連合会の趙中正会長、在日台湾同郷会の岡山文章会長、国際政治アナリストの藤井厳喜氏、『李登輝秘録』著者・河崎真澄氏、台独聯盟日本本部の王明理・委員長代行らが宗像氏を偲び、蔡明耀副代表も出席して追悼を表明した。

 金美齢氏は、宗像氏は豪快な人物で、「宗像伯爵」と呼んでいた。普通のサラリーマン向きの性格ではなく、貴族のような心を持っていた。台湾民主化に参加したことによってその人生が輝いた。「よくやった」と声を掛けたい。

宗像氏の妻瑞江夫人

 宗像氏の妻瑞江夫人も出席し、感謝の言葉を述べた。宗像氏の熱意が、周囲の人を動かし、幸運にもいくつかの仕事のお手伝いをすることがでた。そのなかで、日本がある面で危機感を欠いていることがわかったという。

櫻井よしこ氏のあいさ

 櫻井よしこ氏は、宗像氏が台湾民主化運動に生涯をささげたことは、もっと多くの日本人に知られるべきであるとした。日本と台湾は運命共同体であり、日本と台湾は絶対に中国の手に落ちてはならない。今が正念場だ、と語った。

安倍元首相が「台湾有事は日本の有事」~三度繰り返す

 「台湾の有事は日本の有事。台湾と日本の関係をさらに緊密に発展させていきたい」。安倍元首相は4月25日、都内で開催した「安倍晋三清和政策研究会」の会長就任式典の講演でこう述べた。

 この発言は三度も繰り返され、参加した多くの華僑らは感極まった。「台湾華僑皆が喜んだ」「安倍先生の発言に勇気をもらった」など、台湾人らは一同に感激した様子だった。

清和政策研究会が開催した

 今回の式典は、安倍元首相の会長就任に合わせ10年ぶりに開催されたもの。挨拶後の講演では、第一次、第二次安倍政権時の実績と経過報告も行われた。その中で台湾に関係する発言が飛び出し、参加した40人を超える台湾人から喝采を浴びていた。

新冠疫情下的在日留學生面面觀之三 專訪在日台灣留學生如何面對疫情挑戰

【記者黃貴美/專題報導】自從新冠疫情爆發後,不少大學校園經歷了停課或停校,不少學校改為線上授課,一群懷抱著夢想來到日本留學的台灣留學生,面臨校園生活受到衝擊,以及暫時無法回國探親,或是回台探親後,暫時無法回到日本上課的窘境。記者特別採訪了幾位在日本留學的台灣留學生,聽聽他們在新冠疫情期間,經歷那些生活的變化和挑戰?

土壤灌入實驗

楊家寧(27歲)於2019年來到日本就讀語言學校後,申請成為東京農業大學的研究生,2020年3月日本疫情爆發後,父母希望她先回台灣,沒想到回台不久,日本就鎖國了,所以她的一年級研究生課程是在台灣用線上完成的,接著她在台灣通過線上考試,正式成為同校造園系大學院學生,通過線上課程的方式主修都市綠化,直到2021年8月,她才順利返回日本,開始校園學生生活。

楊家寧生活照

因此疫情對楊家寧最大的影響是,有一半時間都透過網路上課,與日本師生的交流時間和機會變少,對於不能享受學校校園的正常生活,她感覺到很可惜。明年即將畢業的她,希望留在日本,從事與都市綠化相關的實務工作,吸收日本的造園以及維護管理技術。

對於第一次到海外留學的同學她的建議是,廣結善緣,多交朋友,特別是處理自己不熟悉的事如租房,搬家,簽證等,建議先事先做好功課,多請教有經驗的前輩,或找到可以結伴同行的友人,會順利許多。

陳可容是創意設計系學生

陳可容(30歲)於2017年來日本留學,邊打工邊就讀語言學校二年後,順利進入一家連鎖超市企業成為正社員。前半年在鮮魚部工作,後半年在惣菜部(熟食部),辛勤工作一年後,發現自己最熱愛的還是設計相關工作,於是她用自己存下的積蓄,順利申請進入京都藝術設計專門學校的創意設計科,學習視覺設計,今年4月畢業的她,順利進入一家京都的造園公司的設計部工作。

疫情對學生生活的影響是,原本好不容易回歸學生身份,想當背包客到處旅行,例如用暑假去德國找在那邊讀書的朋友,這個計畫因為疫情泡湯了;另外疫情這兩年不能自由的回台灣,連家中的狗狗還有好朋友過世,也只能在螢幕前默默地流淚悲傷,原本以為很近的距離,因為一場世紀災難變得無比遙遠。

攝影是陳可容的愛好

疫情帶來的正面影響是讓她了解休息的重要,原本她是一個會把每個時間塞得滿滿的人,不輕易浪費時間,疫情期間一度被迫暫停打工,反而體會到休息或沉澱是為了走更遠的路這句話的道理,並且有時間去做那些一直想做,卻一直都沒時間做的事,例如有時間去好好讀一本書,寫信給朋友等等。另一個影響是感受到生命真的很無常,沒有什麼事比健康更重要,學會珍惜當下,對很多事不會再像以前一樣糾結,放不下。

陳可容課餘在麵包店打工

她覺得疫情帶來負面的影響是造成人與人之間的不信任和對立,例如疫情初期她曾因為防疫觀念不同跟一位好友大吵一架,放遠來看,許多國跟國之間也是因為這次的疫情,關係變得更緊張。

對於想要來日本求學或工作的人,她的建議是,常常會聽到大家抱怨日本跟想像的不一樣,但如果決定要來,就要保持開放的態度,不要害怕去接觸,認識,學習新的人事物,學習很多事都是一體兩面,每個優點背後也都伴隨著缺點,不管是人還是事都是如此,就像日本常常被詬病太過吹毛求疵,但也是因為這樣日本才能有所謂的職人精神。

陳可容的攝影作品

陳可容在留學期間曾利用課餘時間,在學校老師開的事務所,與京都的和食料理店和麵包店等打工,她表示並不是因為經濟原因才打這麼多工,都是覺得是很好的學習機會才去的,帶著開放的態度,多體驗不同的文化和人事物,得到的一定會比想像中還多。

日本中華聯合總會青年部助僑校抗疫 捐口罩和快篩劑防止感染擴大

【東京/綜合報導】日本中華聯合總會青年部為了協助日本各地僑校對抗疫情,分別捐贈了三千枚口罩和二十份快篩劑,希望能協助僑校防止學生的感染擴大,讓學生能無憂無慮地在學校學習。

青年部前往橫濱中華學院捐贈

 日本中華聯合總會青年部這次從秋田縣中華總會收到口罩和快篩劑的捐贈,希望讓青年部可以加以活用,後來經過青年部內部的會議討論,決定將口罩和快篩劑捐贈給東京中華學校、橫濱中華學院、大阪中華學校三所僑校,用來協助學校防止新型變異株的蔓延。

青年部前往大阪中華學校捐贈

 東京中華學校由吳淨雪副部長、劉怡慧秘書前往捐贈,並收到王東生校長的感謝狀;橫濱中華學院則由李明杰副部長和劉怡慧秘書前往捐贈,由羅鴻健理事長、杜文劍校長代表收下;大阪中華學校則由潘宇副部長和黃翠秘書前往捐贈,並與四月剛上任的校長蔣燁交流。

王校長頒感謝狀感謝青年部的愛心

 青年部部長又井公久也提到,日本中華聯合總會青年部的責任除了要擔起未來的僑界外,也要培育下一代的華僑,因此對於教導他們祖國歷史和對祖國認同的中華學校,應該要保有密切的聯繫和合作,一同協助華僑界的發展。

青年部與羅理事長和杜校長交流