日台関係研究会が「新時代を迎えた日台関係と東アジア」をテーマに大会を開催

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会場の様子

創立17周年を迎えた日台関係研究会が12月8日、都内で「新時代を迎えた日台関係と東アジア」をテーマに2012年大会を開催した。大会は2部構成で、1部が講演、2部が懇親会だった。

同会は平成7年より東京で活動を始め、日台関係を中心に台湾、中国に関心がある幅広い人々が、毎月の例会や全国各地の大会を主催している。

午後2時、大会は司会の酒井正文氏(日台関係研究会理事・平成国際大学教授)の開会の辞で始まった。酒井氏は今年は日中国交正常化40周年、日華断交40周年の節目の年、東日本大震災での台湾挙げての支援など日台の強い絆を感じている今、運命共同体である両国の関係を改めて考えたい、と話した。

福島康人氏

次いで挨拶に立った日台関係研究会代表理事である福島康人氏は、「会ができて17年たった。当時、国交断絶後24年経っていたにもかかわらず、日台関係をマスコミは報道してくれなかった。日台が友好な関係を築いていくためにも(日台関係を)研究して日本の皆さんに知って欲しいとの願いから先輩たちが会を立ち上げた」と設立経緯を説明した。また、台湾は日本にとって、政治、経済、安全保障上も極めて重要な国であることを力説した。

沈斯淳代表

講演は、台北駐日経済文化代表処の沈斯淳代表(新時代を迎えた日台関係)、日台スポーツ・文化推進協会理事長松本彧彦氏(椎名特使派遣の真相とその後の日台関係)、平成国際大学教授浅野和生氏(日台関係と日中関係の来し方行く末)の順に行われた。

トップバッターとして壇上に立った沈斯淳代表は、ピースメーカーとして両岸関係の和平の促進、韓国や東南アジア各国とのビジネスの拡大、日本との関係では、ワーキングホリデー協定の締結、台北駐日経済文化代表処札幌分処開設、日本で制定された「海外美術品等公開促進法」によって、台湾の「国立故宮博物院」所蔵の美術品が日本で展示されることになったこと、台日投資協定の調印、オープンスカイ協定(航空自由化)により各地方の台湾との定期便増加(本年:鹿児島・富山・函館、来年:新潟・高松予定)など、数々の日台関係の充実した成果を挙げながら「本日は日台関係研究会にお招きいただきありがとうございました。嬉しく光栄に思います」と結んだ。

この後、質疑応答の時間が設けられ、質問者から尖閣問題と漁業交渉の関係を尋ねられた沈代表は、先月の予備会合では意見はまとまらなかったが、平和的に解決したい。8月5日に馬英九総統は「東シナ海平和イニシアチブ」を提言しており、(島の)主権は台湾にあるが、過去の経緯や争議を棚上げして理性的に対応を続けることで解決できると思う。日本の玄葉 光一郎外務大臣も(東シナ海平和イニシアチブに)賛成してくれた、と語った。続けて「台湾と日本は民主主義という共通の価値観を持っており、理性的に解決できる」とした。

 

松本彧彦氏

二番手として壇上に立った日台スポーツ・文化推進協会理事長松本彧彦氏は、1972年の日中国交正常化の裏側で、日本と台湾の国交断絶をめぐり、台湾と日本政府との間で緊張した政治的駆け引きがあったこと、その重要な局面で、当時、自民党職員だった32歳の松本氏が大平正芳外務大臣の要請で、特史秘書として椎名悦三郎特史の台湾派遣交渉にあたったこと、を熱く語った。松本氏は当時、中国青年反共救国団(台湾)と交流があり、蒋経国行政院長(救国団初代主任)ほか国民党幹部とも面識があったことから、行き詰まった台湾政府との関係改善のためのパイプ役を命じられたという。臨場感ある講演に参加者は熱心に聞き入った。

三番手は大会の事務局長でもある浅野和生氏だった。「実は11月18日から24日まで日本を代表する大学院生11人を引き連れて台湾の4つの大学と交流を行ってきました。宿泊施設の隣が中国青年救国団の施設でした」と述べた浅野氏は、当日、上梓したばかの著書「日台関係と日中関係」(展転社)を参加者に配った。

浅野和生氏

浅野氏は、日中国交正常化、上海コミュニケ、日朝平壌宣言について語った。同氏は2005年10月12日に「日本と台湾との相互交流の基本に関する法律」(略称:日台関係基本法)私案を発表しており、今後、政権交代などによりこれが生かされることを期待したいと結んだ。

浅川公紀氏
蔡柱國氏

第2部懇親会は、午後5時過ぎに始まった。来賓として武蔵野大学浅川公紀教授が冒頭で挨拶、乾杯の音頭は元白鴎大学法学部教授蔡柱國氏が行った。

平成国際大学に留学中の台湾人学生たち