【落地生根・インタビュー】温泉ライター 西村りえさん 

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「台湾には素朴なものが残っている。(当時は)お湯が開発がそこまで進んでなかったので、ものすごくいいお湯が残っていた。人がなんと言っても親切だった。この三つに凄く惹かれてしまった」

 

温泉ライター歴25年の温泉カリスマ、西村りえさんは、毎年足繁く通う台湾の温泉の魅力に取り付かれた最初の理由をそう語る。「そんなには行っていない」と謙遜するが、日本国内での忙しい仕事の合間を縫っては来台し、既に30~40カ所の温泉を訪れたという。現在は日本温泉地域学会の理事も務め、温泉に関する研究活動も行なう。

 

温泉ライター西村りえさん
温泉ライター西村りえさん

 

台湾の温泉地を研究することで、新しい発見に出会うことは多い。「日本は千年とか千五百年とか温泉地の歴史が深い。そうするとものすごく色々な物が複雑になり、(歴史の真相が)見えにくくなる。でも台湾の温泉は日本人が開発し始めて百年ちょっと。ここに来て開発をして、どういうものを作ろうとしたのか、温泉地をどういうものだと日本人が捉えてきたかと言うのが、調べていくと見えると言うことがある」。現在は北投に残る個人の風呂についてどう言った来歴があり、どう言ったお湯なのか調査をしている最中だ。

 

台湾で最も印象深い温泉は、南部屏東県にある四重渓の公共浴場。浴場には富士山と桜のタイル絵が飾られている。長年に渡って地元の人から愛されている温泉だ。「裸になって皆で一緒にお風呂に入るというのは、周りの人への信頼感や安心感があってこそ。そういう意味で共同浴場が日本時代から続いていて、残されていると言うのは、実は貴重なことだと思う」

 

「日本の入浴文化、入浴の根本にあるものが、あそこ(四重渓)で受け入れられている」

 

熱帯、亜熱帯気候に属する台湾の温泉は露天風呂が多い。しかし水着着用が必要な所もあり、一部の日本人からは不満の声もあがる。この点に関しては「水着を着て皆一緒にあっけらかんと入るのは良いなと思う。台湾の人は楽しく温泉に入るやり方を知っている」と、家族団欒を大切にする台湾ならではの温泉の入り方だと話す。また、温泉や街を良くして行こうと努力している人たちとも出会えた。「海を越えて感動があるし、嬉しいことです」

 

精力的に取材を行なう西村さん。日本統治時代の温泉に関する資料を探すのは簡単ではない。
精力的に取材を行なう西村さん。日本統治時代の温泉に関する資料を探すのは簡単ではない。

 

ただ、台湾の温泉利用を巡って心配なこともある。温泉地の開発が進みすぎていることだ。台北の行義路や宜蘭の礁渓など、近年急速に大規模開発が始まったところも多い。「(本来は)湯量がどれだけあるかによってお湯の量や、お風呂の大きさを決めていかなければならない。台湾はそこらへんがどうなっているのかなと言う危機感はある」

 

今後については、「色々な温泉に行っていないのでまずそこへ行きたい。そして日本人が開発した温泉地のその後をちゃんと見たい」と語るが、「身体一つじゃ足りません」と朗らかに笑う。