名古屋華僑総会邱錦爵名誉会長インタビュー

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名古屋華僑総会邱錦爵名誉会長
名古屋華僑総会邱錦爵名誉会長

Q100歳になったが。

A愛知県知事(及び名古屋市長)から記念品をもらった。光栄に思っている。自分が100歳になってこれまで(様々なことを)乗り越えて来て、元気でちゃんと食べられるし、頭もぼけとらん。目もよく見えるし、健康だ。悪いところがない。

愛知県知事、名古屋市長からの祝辞
愛知県知事、名古屋市長からの祝辞

Q長生きの秘訣は。

A僕は一日に2回しか食べない。値段が高くても新鮮なものを買って食べている。肉は昔はよく食べたが今は脂身は食べるが赤い肉は食べない。消化が悪いからね。それとよく噛み砕いてから飲み込むのが良い。

Q食べもの以外では。

Aもうひとつ大事なことは、人間は行いは道徳に基づいてやっていくこと。いいことをやる。僕は多くの貧しい人間を何十人も助けたことがある。

Q具体的には。

A戦後間もなくのこと、ゴミ箱からものを拾って食べている人間がいて、「それは食べたらいかん。死ぬで。お金やるから止めろと」。当時、僕は、神戸で事業を起こして500人ほど人を使っていたことがある。事業では「攻める」のが得意だった。それで神戸市に当時のお金で100万円、寄付をして市長より感謝状をもらった。

Q素晴らしい行いだが。

A新聞記者も来て「邱社長あなたは台湾出身なのに日本社会にこれほど多くのお金を寄附するのはどうしてか」と聞かれたので、「義理人情に国境の差はありません」と答えた。

Q日本に来たのは

A24歳(1939年=昭和14年)のとき。76年間になる。

一等勲章
一等勲章

Q中華民国政府から勲章を授与されたが。

A僕はこれまで社会貢献で多くのお金を寄附してきたからね。2年前に1等勲章をいただいたときは、一流のお店で50人ほど招待した。その2年前に2等勲章をもらったときはうちの2階に招待した。多くの議員が来てくれた。最後の挨拶で皆さんに御礼の言葉を申し上げた。

Q勲章は3回では

Aそう、1回目は20年前に3等勲章、4年前に2等勲章、2年前に1等勲章をもらった。1人で3回もらったのは僕だけ。

Q大事にしている格言は

A孔子の言葉(教え)。台湾(統治時代の学校)で勉強した。四書五経まるごと暗記している。人を騙したり、見ていないからといって人のものを盗んだりはぜったい、やったらいかんとか。

Q国籍について

A僕は台湾籍。妻は日本人で、子どもは全員、日本国籍。かつて僕も(帰化しようとした)変えようとしたことがあったが、友人の警察署長に「邱さんは名前変えたらいかん。有名だから名前を変えたらわけがわからなくなる」と言ってくれたから、「そんじゃ変えません」となった。

Q日台関係のこれから

A日本と台湾は仲がいい。僕の世代の台湾の人間は、日本の教育を受けているから親密な関係がある。これからも同じ。なぜなら昔から僕らは日台関係をつないできたわけ。後世の人間に説明してきている。日本と台湾は仲良くしないといかんと自覚していくと思う。僕はね、華僑総会の会長をやってきたけど、日本と台湾は友好を深めることが一番大事と思ってやってきた。

Q台湾の未来の国の形は

A現状維持。今は独立と同じだと思う。戦争はいけない。平和が一番、大切。

■名古屋華僑総会邱錦爵名誉会長プロフィール

1914年(大正3年)台湾台中で生まれる。日本統治下にあって幼少期に私塾に学んで漢文を習得。1939年(昭和14年)25歳の時に来日。戦時下の日本での生活は苦しかったが、縁あって東京共同印刷社に就職。日本や東南アジアに流通した軍部発行の代替紙幣「軍票」の印刷検査を担当し、余裕ができた。1941年より商売を開始。だが、戦争が激しくなり、米軍の爆撃、物資欠乏、食糧配給となり、1942年、東京から神戸に転居した。戦後、1946年に神戸で大明製菓(株)を設立。ミルクキャラメルを主に様々なお菓子を全国に販売。とりわけ、九州での販売が成功し、最盛期には社員数500人に達した。この間、神戸市や台中市に慈善献金を行い、感謝状を授与された。その後、台湾への進出が農地改革のため、失敗、神戸に戻ったが財産は名義変更され、無一文に。1960年に新天地を求めて名古屋に転居。中華料理店の経営を一から始め、また、毛皮の輸入販売なども手掛け、事業は次第に軌道に乗った。台湾華僑との交流も活発に行い、1988年より名古屋華僑総会会長、1996年より同名誉会長を務め、現在に至る。