生涯台湾を愛し続けた画家、立石鉄臣氏の回顧展

0

 

台湾生まれで台湾と日本で活躍した作家・故立石鐡臣氏の回顧展「生誕110周年 立石鐡臣展」が5月12日より30日まで、銀座の泰明画廊で開催された。立石氏の没後、同氏のまとまった作品を日本で展示するのは初めて。同展では立石氏の戦後の作品を中心に、戦前の油彩・スケッチを合わせた40点余りを画廊の1階及び地下1階に展示した。

「生誕110周年 立石鐡臣展」が 銀座で開催
「生誕110周年 立石鐡臣展」が 銀座で開催

立石氏は戦前・戦中を通して台湾に滞在し、南国特有の風物を描いた画家として知られる。台湾最大の在野団体「台陽美術協会」の創設時には、唯一の日本人として加わるなど台湾美術界の発展に尽力した人物でもある。また、皇民化運動が激化する時代、台湾の伝統文化を護ろうと立ちあがり、日本人により創刊された雑誌「民俗台湾」の編集にも加わった経歴を持つ。さらに木版画の「台湾民俗図絵」を連載するなどの実績もある。台湾では「台湾のゴッホ」と例えられるほどの油彩画家として絶大な人気を誇ったが、日本ではその実績を正しく評価される機会はほとんどなかったと言える。

立石鐵臣「東門の朝」1933年 (提供:泰明画廊)
立石鐵臣「東門の朝」1933年 (提供:泰明画廊)

同展開催の意図は、泰明画廊の壇上正憲社長が台湾美術研究家の森美根子さんが立石氏について記した著書を読むなどして、立石氏の作家としての素晴らしさを再認識したことがきっかけ。「台湾では有名だが日本では埋もれてしまっているという事実がある。これは勿体ないことだ。是非多くの日本人に知って頂きたい」との考えから企画された。具体的な行動は、立石氏の遺族に連絡をとり、立石家に眠っていた作品を借り、その後作品を整理。開催までに約1年の期間を要したという。

泰明画廊の壇上正憲社長
泰明画廊の壇上正憲社長

なお、通常の展示会は1週間程度だが、今回は半月以上のロングラン。これについて壇上社長は「立石氏の台湾時代の作品は日本に引き揚げてくる際にしかたなく台湾に置いてきたという。そして今も行方不明だ。同展で多くの方にみて頂くことで何か台湾時代の作品の情報が得られるのではないかと思い、開催期間を通常より伸ばした」と話した。

 

 

遺族が語る、立石氏の描いたものとは

同展初日の12日には開幕式が行われ、立石氏の妻、長男、次男、孫などの遺族や関係者らが参加し開催を祝った。

左から、立石氏の次男・雅夫さん、妻・寿美さん、長男・光夫さん
左から、立石氏の次男・雅夫さん、妻・寿美さん、長男・光夫さん

長男の立石光夫さんは「父は同じことを繰り返すことを嫌い、時代の移り変わりと自身の環境及び心情の変化により、油彩やスケッチ、細密画、シュールなど様々な技法で描いてきました」と語った。光夫さんによると、立石氏は台湾時代、台湾の熱いパッションや南国情緒を表した油彩やスケッチをメーンの技法とし、日本帰国後はどこか孤独な心情を表すようなシュールな作品や日本一と自負していたという細密画が目立ったという。会場の入り口を入るとすぐ目に入る大きな絵画「春」(1974年)や「月に献ず」(1972年)は、立石氏のこれまで描いてきた画法の集大成ともいえる壮大な作品でもある。

立石氏の作品「春(1973年)」(提供:泰明画廊)
立石氏の作品「春(1973年)」(提供:泰明画廊)

さらに次男の立石雅夫さんは「父はどの時代、どの作品においても名もなき者のひとつの命を大切に描いてきました。昆虫の細密画は表面を描くだけでなく、その内に秘められた内部、そして命までを表現するため、じっくりと時間をかけて描いていたのを覚えています」と亡き父の絵画に対する情熱を披露した。

立石氏の細密画
立石氏の細密画

また、98歳の妻寿美さんは「夫は本当に台湾を愛していました。きっと台湾の穏やかで自由気ままな雰囲気が彼に合っていたのでしょう。ずっと台湾に居たいと思っていたと思いますよ」と話し、立石氏がどれほど台湾を愛した作家だったのかを語り、うっすらと涙を浮かべていた。

返事を書く

Please enter your comment!
Please enter your name here