「台湾紅茶の父」新井耕吉郎   出身地の群馬県沼田市に顕彰会

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新井耕吉郎の胸像と碑(同顕彰会提供の動画から)

台湾の紅茶産業の礎を築き「台湾紅茶の父」と称される農業技術者の新井耕吉郎(1904~46年)の偉業を後世に伝えようと、新井の出身地である群馬県沼田市で「新井耕吉郎顕彰会」が結成され、6月19日、発足の式典が行われた。

 新井は、旧制沼田中(現・沼田高)を経て、北海道帝国大学農学部で学んだ。22歳で台湾に渡り、茶業試験場に勤務。現在、観光地になっている日月潭(にちげつたん)の湖近くの魚池郷(南投県)に「魚池紅茶試験支所」を設立、台湾の紅茶産業の発展に貢献した。終戦後も同地にとどまり、紅茶産業のさらなる発展をめざしたが、志半ばの46年6月19日、マラリアにより42歳で死去した。

 新井が設立した同支所は現在、行政院農業委員会(農水省に相当)の「茶業改良場魚池分場」になっている。魚池郷は台湾における茶の一大産地として知られている。。

胸像と碑の移転除幕式の様子(新井耕吉郎顕彰会提供の動画から)

 2007年、台湾経済界の重鎮、許文龍氏が魚池分場に立ち寄った際、新井の功績に感銘を受け、新井の胸像を造り、沼田市に住む新井の親族に贈った。胸像は当初は親族の墓地に置かれていたが、親族が沼田市に寄贈し、記念碑とともに市内の園原運動公園に移設された。今年4月13日に移転除幕式が行われた。式には魚池分場の黄正宗場長、魚池郷の陳錦倫・前郷長、魚池農会(日本の農協に相当)の王威文・総幹事がお祝いのビデオメッセージを寄せている。

 同顕彰会発足式は、胸像の立つ園原運動公園近くの集会場で行われ、新井が学んだ沼田高の同窓会長、星野本三さんが顕彰会長に就いた。本年度は①新井に関する調査研究と啓発活動(出版物の刊行、講演会など)、②胸像周辺の整備、③関連展示コーナーの設置、④台湾との交流-などの実施をめざすことを申し合わせた。

 沼田市は2015年から、魚池郷など台湾側と交流を続けており、コロナ禍で実現は不透明ながら、高校生の修学旅行の話しも持ち上がっているという。

 魚池郷の陳錦倫・前郷長のメッセージ動画は、YouTube にアップされており、以下から見ることができる。